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Makkyのあしたっていまさ!

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てきとーにまったり。主にSTGや東方を中心としたゲーム系雑記だよ。

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基本的にはゲーム系雑記をてきとーにまったり語るブログです。


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# by makky_cys | 2023-12-07 12:07 | 雑記

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Makkyです。
肌寒い日もありますが、冬を越えてだいぶ暖かくなってきましたね。
花粉がやばいです。

今回は前々回でもお伝えしたとおり、
レトスペ本編における「中有の道にまつわるハナシ」。
第三部序盤でも史規達が訪れる場所であり、28話のタイトルにもなっているところ。
過去バックナンバーでも軽く触れたので、
その補足と違った観点を見つめていこうというのが今回の主です。
予めおさらいにどうぞ↓


さて、史規たちがここを訪れたのはある種必然といえる。
それは運命とかそういう類ではなく、
「ゴールが白玉楼である」という時点である程度決まっていたこと。
本来、白玉楼というのは生者が容易く到達できる場所ではない。
もともと死者の幽霊が向かう場所であり、
その幽霊が成仏か転生かの選択を待つ場所だからだ。
先に説明しておくと正しい白玉楼へのルートは以下の通り。


地上 → (遥か上空) → 幽明結界 → 冥界 → (長い石段) → 白玉楼


レトスペ本編の時間軸はちょうど『花映塚』後~『風神録』前の狭間にある。
上記で説明したルートは正しくは「『妖々夢』以前」における生者が白玉楼へと赴くための道のりだ。
お察しのとおり2つめの「遥か上空」という時点でいきなり「詰み」なのである。
相当実力のある者、あるいは例外中の例外でない限りは到達は不可能と断言していいほどなのだ。
それが何故到達できるようになったのか?
それを紐解くために幻想郷の簡単な歴史とスポットの紹介が必要となってくる。
まずはそこを追求していこう。


地上
その名の通り「地上」。
幻想郷のみならず外の界隈(幻想郷は結界を隔てて地続き)で人間が最も活動している場所。
道がある以上どこまでも歩いていける領域がここだ。
当然史規の移動エリアもここに絞られる。
普段は我々もここで過ごしているし、幻想郷の住民も総数はここに居る。


遥か上空
地上から空を見上げた場所。
こちらの世界では飛行機などの文明を使わない限りは到底たどり着けない領域である。
幻想郷少女たちは「空を飛べる」ので自力でここに到達できるが、
一般人の史規にはやはり無理な場所。
男性一人を抱えて霊夢たちに運んでもらうという形も取れただろうが、
史規自身が高所恐怖症であること、
移動中に敵の弊害があっては元も子もなくなるので手段としては賢くない。
どれほど上空かというと空に漂う雲よりも上である。
通称「天空の花の都」。
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幽明結界
ゆうめいけっかい。
現世と冥界の境にある結界。巨大な扉のような形状をしている。
空を飛んで上を跳び越さないと行き来ができなかったが、
「春雪異変(東方妖々夢)」以降は結界そのものが薄くなった上、
何故か八雲紫が結界を修復せず放置しているので冥界へ行くのが凄く楽になった。
原作『妖々夢』のステージ4のラスト、
および『花映塚』のプリズムリバー三姉妹のステージになっているあの背景。
「行くのが凄く楽になった」とはいえ、
扉の結界が緩んだことで「完全立ち入り禁止」だった場が、
「立ち入り可能」になったくらいの緩さで、過酷さはさほど変わっていない。
最も近道のルートがこの「幽明結界を通過する」に過ぎず、
その手段が取れない場合は後述する遠回りルートを頼ることとなる。
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冥界
罪の無い死者が成仏するか転生するまでの間を幽霊として過ごす世界。
比較的善良な霊達ばかりであり、
転生先の心配をせずに暢気に冥界観光をしている霊が殆ど。
静かだが四季が豊かで、春は美しい桜で埋まり、秋は紅葉で美しく染まる。
そこに住む虫、植物、鳥、獣、人間は基本死んでいる。
人間は死ぬと中有の道を通り、三途の川を渡り、彼岸で閻魔の裁きを受け、
罪の重さによって地獄か冥界か天界等に逝き先がわかれる。
そのうちの天界が満員になったため成仏を待つ幽霊が溢れかえり、
現世の外の世界に移住する騒ぎがあったため、
拡張されて現在は広大な敷地を有したという経緯を持つ。
冥界の管理は、亡霊の西行寺幽々子が閻魔から任されている。
数多の桜が植え付けられており、
その中でも一際大きく聳え立つのが前回でも紹介した「西行妖」である。 
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白玉楼
妖夢や幽々子らが住む日本屋敷で、冥界にあるとびきり長い石段を登った先にある。
旅の目的地であり、ここで幽霊の管理を担っている。
白玉楼の広大な庭は一般公開されていて、
桜が大量に植えられており春になると桜の海が一面に広がる。
非公開の中庭は、枯山水になっている。
史規らも紆余曲折しながらも、31話にてようやく到達した。
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今しがた紹介したルートが「『妖々夢』以前」のハナシ。
レトスペ本編ではこのルートを辿っていないので、その違いは明白であろう。
これしかなかった道に「『妖々夢』以降」、新たなルートが追加される。
それが「中有の道通過ルート」だ。
是非曲直庁管理下にあり、特別な生者も行き来できるようになっただけでなく、
死者の幽霊も歩いてのぞめるようになった。
もちろん、冥界へと赴くためだけでなく成仏か転生かという選択の心構えへの余地を、
幽霊たちに植え付ける場という役割とともにその価値を生み出せている。
「中有の道通過ルート」は以下のとおり。


紅魔館 → 霧の湖 → 妖怪の山・麓 → (山の裏手)
 → 中有の道 → (三途の川 → 彼岸) → 冥界 → 白玉楼


この度、史規達は「『妖々夢』以降」の時系列に立てたこと(→新ルート確立)、
霊夢らとともに紅魔館をあとにしたこと(→スタート地点に立てて霧の湖から川沿いに妖怪の山を目指しやすい)、
史規自身が是非曲直庁にマークされている魂であること(→三途の川~彼岸の通過)、
幽々子にも誘導されていることなどの様々な条件が整っており(→冥界入門許可)、
この道を突破できるようになったというわけだ。
こちらはデメリットじゃ非常に遠回りな道のりとかなり限定的な条件付きではあることと、
人間一人でのぞむには危険区域の連続であること。
だがその対価交換として徒歩でのぞめる、このメリットが非常に大きいことに尽きる。
中有の道通過ルートの各スポットにも軽く触れておこう。


紅魔館
第二部の舞台となった場所。
レミリアを主として、湖畔(霧の湖)に佇む真っ赤な西洋館。
紅魔館組の面々及び紅魔館そのものはかつて"幻想入りした存在"である。
彼女らが引っ越ししてきて紅魔館が霧の湖に出来た頃は「湖の中の小島」に建物があったが、
現在は「湖の外周り」に建っていることから土地ごと動いたことがわかっている。
この "移動" には咲夜の時を止める能力における時空間操作と、
パチュリーの魔法のたまものによる。
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霧の湖
妖怪の山の麓に位置する、昼間になると霧に包まれる湖。
なぜ昼間にだけ霧が出やすいのかは不明。
一見すると大きな湖のように思えるが、それは視界不良が原因であり、
実際には一周歩いて回っても一時間も掛からない大きさとのこと。
妖怪の山から川が流れ込んでおり、ごく稀に河童が流されてくる事もあるのだとか。
妖精や妖怪の集まりやすい場所とされ、危険度はそれとなく高い。
チルノもこのあたりに住処を作っている。
咲夜と別れの挨拶を交わした場所もここだ。
通称「ミストレイク」。
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妖怪の山
かつて鬼が統治していた場所。
多くの古参妖怪や神々が住み、
人間や他の妖怪たちとは異なった独自の文化や社会を築いている。
特に天狗や河童は、外の世界を模した高度な技術力を持っている。
作中では登場していない場所だが射命丸は普段ここの天狗社会で生きており、
クレー射撃で手にした「のびーるアーム」も河童特製である。
ちなみに『風神録』より前の時系列なため守矢神社の引っ越しはまだ行われておらず、
早苗達は幻想郷にまだいない状態であることが伺える(霊夢の博麗神社しかないという発言)。
山の裏側には三途の川へと至る中有の道がある。
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三途の川
彼岸と現世の境となる川。
幻想郷から歩いて河岸に行くことが可能で、妖怪の山の裏側にある。
中有の道を通らなければ辿り着くことが出来ない。
渡し舟担当の死神が船頭をしている。
この川は何故か体が浮かないため泳ぐことはできず、死神の船以外の船も沈んでしまう。
死者の生前の業に応じて川の長さが変化し、
生前罪深かった者は渡るのに時間がかかり疲労する。
幻想郷の幽霊の渡し担当の死神に小野塚小町がおり、彼女はこの渡っている時間の与太話が好き。
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彼岸
三途の川を渡った先にある死後の世界。
中有の道を通り、三途の川を渡ってここに辿り着く(運賃を渋ると川に落とされる)。
とくに見所は何も無く、また、何もすることも出来ない。
ここに来たが最後、お次は来世で、と言う生きている者からすれば何とも寂しい場所である。
しばらく待っていると、裁判が始まる。控訴、上告などと言う便利な物は無い。
即断即決、閻魔様の裁きは絶対なのである。
裁きにより、冥界・地獄・天界のいずれかに逝き先が決まる。
もしも地獄行きの判決が下されてしまった場合、
一時的に輪廻の輪から外される事に。
彼岸につくと完全に死亡したことになり、顕界に戻ることはできないとされる。
幻想郷の担当には四季映姫・ヤマザナドゥなどがいる。
閻魔や死神など彼岸に住む種族もおり、
閻魔の映姫や死神の小町は幻想郷と彼岸を行き来している。
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どちらのルートを辿ったとしても "普通" ではない。
度重なる偶然や3桁にも及ぶ輪廻の繰り返しでようやく実った真実への道のり。
こう振り返ってみると彼の道のりはつくづく「成るべくして成った」といえよう。




中有の道で出会った男の子の謎
レトスペで描かれた中有の道での出来事において、
記憶に焼き付くシーンのひとつに「男の子とのクレー射撃」を挙げる人は少なくないだろう。
ところがあの少年はレトスペ本編においてキャスティングから外されているキャラクターのひとりなのだ。
どういうことかというと、まずはこれをみてほしい。
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最終回スタッフロール後、視聴者に向けて送られた最後のアンケート模様なのだが、
この順番はある法則で羅列されている。
それは単純に「第三部(27話~44話)において史規に携わる形で名ありで登場した順番」である。

1.霊夢(27話)
2.史規(27話)
3.魔理沙(27話)
4.店主(28話)
5.中年(28話)
6.妖夢(30話)
7.幽々子(31話)
8.映姫(31話)
9.小町(31話)
10.紫(34話)
11.文(35話)
12.小悪魔(38話)
13.チルノ(39話)
14.大妖精(39話)
15.アリス(39話)
16.前の史規(39話)
17.美鈴(40話)
18.レミリア(40話)
19.咲夜(42話)
20.パチュリー(43話)

思い返せば3部だけでいかにキャスト総出演だったのかが理解る。
この法則のため、史規と直接携わらなかった人里における村人や村長は完全モブであり、
エンドロール後の男A~Cも同様の扱いといえよう。
なのにも関わらず男の子だけはこの条件を満たしているのにこの枠から外されているのだ。
画面レイアウト的にも「21人目」の空きが存在しており、入れられなかったとは考えにくいし、
tokatiさんが忘れたとも正直思えない。彼がこの場にいなかった理由は意図した何かではないか、
という考察の余地が生まれたのだ。

では、少年がこのキャラクターリストから外れた理由とは何か?
それを拾っていく。
まず第一に考えていくべきは、単純に男の子はアンケート調査対象の条件を満たしていたとはいえ、
完全モブ要員の一環としてハナから想定されていたからではないか?という観点。
完全モブと作者から定められた以上、固有キャラクターの土台には立てず、
入れるまでもないかという判断によるもの。
例えばドラマや映画などでも、記憶に残るモブキャラクターがいたとしても、
スタッフロールではそもそも配役名がクレジットされていなかったり、
背景の一環として(つまり情景的要素)扱われているなんてことはまぁまぁ多々ある。
モブにはモブの役割・立ち回りというのは確かにあるわけで、
その観点では中年がたまたまtokatiさんのお気に入りだったから例外としてあの位置に立てれたとも取れるわけだ。

二つ目の考察は、あの男の子がそもそもいないから説。
中有の道は説明のとおり、どちらかというと死者のための場所である。
第一部にてアリスが操作する孫と老人の人形のように、
"登場"こそしたが、人物としてもともと居ないキャラ=幽霊だったという発想による。
一つ目の考察に乗っかる形だが明確に幽霊として設定上にはあり、
会話ややり取りは交わすものの実体がないためキャスティングから外した、という例。
幻想郷側の住民で中有の道に遊びに来ていたという可能性をも否定する観点だ。
実際両親は最後まで現れなかったし、クレー射撃のやり取りを終えたあとどこかへ消えてしまうのは、
そういうことだったんじゃないかっていう推測による。
作中のやり取りは暖かい形だったが、
男の子があの姿であの場所にいたっていうバックボーンを探ろうとするとかなり悲壮的な予感がする。
そこに考えの余地が生まれるので、
本編に関係のないところで想いを巡らせていくのは死者への弔いにもなって良いキッカケになるだろう。

三つ目はアンケート画面に実はもういるから、という説。
どういうことかというと、男の子という別キャラではなく、
既に登場しているキャラクターと同一の存在なのではないか?という考えに基づく。
結論からいってしまうと、あれは史規の幼少時の姿だったのではないか?という考えだ。
前提が前提なので、そんなことは果たして起こるのかということを立証しなければならない。
まず、中有の道というのは本来、死者の魂に対して選択を迫るにあたって心構えの余地を植え付ける場所だ。
史規は決して死者の魂というわけではなく、いささか特異性質の魂なのだが、
輪廻を繰り返しているという点においては魂という絶対条件がある以上、彼もまた例外ではない。
個人個人に対して、これまでの人生を振り返させるという点において最も効果的なのは何か。
色々やり方はあると思うが、
かつての自分を投影し「こんなこともあった、自分はこういう性格だった」と見せつけるのは候補として浮上する。
記憶を呼び覚ますとかそういう意図はなく、走馬灯のようにこれまでの人生に悔いはなかったかという見せ方。
クレー射撃のやり取りを紐解いてみると、
挑み続けること、諦めない事、選択したことに悔いを残さない事、モノではなく何を成したかの結果を誇る事、
などなど、実はこれまでの史規の歩んだ道の暗喩になっていることに気付く。
男の子とのやり取りをみて史規もまた、
自分が子供の頃にこうやって周囲を困らせたなとふと気付くシーンも挟まれている。
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店主として振舞っていたミスティアも、史規の渡す小銭を見て「やらせた」とあり、
もともと是非曲直庁の管理もあったことを加味すれば、
例えば「幻想郷のものではない金を持つ青年がやってきたら」という合図と受け取っていた可能性だってある。
当然このやり取りまでみられていたことで中年との喧嘩も勃発してしまうわけだが…。
男の子とのシーン以降にも、史規は新たな出生に向けて青年時代に送る活躍エピソード、
自分が子供を授かり親となるエピソード、
生まれてきたばかりにはじめて母親から名前を呼ばれるエピソードなどなど彼の生きた証となるピースは、
今後も示されていく。
その全てがなくてはならないものばかりでどれかが欠けていても史規という"彼"を生成するに値しない。
これから冥界及び白玉楼に行くことが約束されている以上、
霊夢や魔理沙のみていないところでこういうことを彼自身に示すことも是非曲直庁の狙いだったのかもしれない。
このあとに紫もまた「スキマができた」と謎のメッセージを残していることから、
少なからず中有の道での史規への揺さぶりは上々だったといえる。
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史規自身の幼少時からあのような「頑固なわからず屋」の側面を強く持っており、
正直これは今でも変わらないくらいだが、「わからず屋な反面納得さえすればOK」という素直さも併せ持つ。
そんな彼の性格を生成した経験からなのか、史規の子供への配慮や行動というのが結構巧みである。
チルノ、人里での孫(アリスの人形)、
そして中有の道の男の子と接するときの態度や "目線" は実は一貫しており、
どうすれば納得してもらえるか、何に対してムキになっているのか、
それを紐解くにはどう当たればいいのかなどの心得みたいなものを彼なりに持っているといえる。

以上のことから男の子は "あえて" アンケートから除外されており、
どのような理由であっても納得できるに値した。実際のところどうなのかはわかりませんけどね(笑)




エピローグ後の男C
本編エンディング後の最後の挿入シーン。
舞台はまた中有の道を映し、かつての中年と店主がきりきり舞いをしている。
三途の川を渡ろうとしている霊達が、ここであった縁を噛みしめ、
それぞれの "目的地" へと解散していくわけだが、
ここで男C(紙袋を持ったシルエット)のみ気になることを発する。
「また来るよ」。
その面影に気付いた中年と店主は追いかけ、
男たちに確認を取るという流れなわけだが、
この男は一体……というのが本当のエンドシーンだ。
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先に説明したとおり、中有の道は三途の川へ渡る前の場所であり、
その後の判決で魂の行き先を決める流れとなっている。
つまり、三途の川へ赴くという時点でその魂の結末がどうであれ、
「次回の来訪」は無いというわけだ。
よって、「また来る」という挨拶は理にかなっておらず、
この場所がどういうところかを熟知している者からすれば「何言ってんだ?」ってなる。
上の考察の三つ目に便乗、補足する形になるが、
この男Cもまた男の子の成長した姿という見方も取れないだろうか。
っというのも、史規本人と同じくして中年及び店主は小さかった彼を見ているから。
結局は史規じゃんってなるが、本編の史規本人と、「史規の投影」は似ていて違う。
別の存在である。実際、史規自身が投影と言葉を交わして直に触れているわけなのだから。
投影だったものが面影となり、その面影の想いが具現化し別の存在として発現する。
幻想郷は全てを受け入れる世界だけに、こうした可能性は否定できない。
故に史規と違って、「中有の道で生まれた」存在であり云わば彼のドッペルゲンガー。
史規から発現したので彼がもともと持っていた仮初の記憶(外の世界の記憶)だけでなく、
幻想郷で体験したこと、そのルールも熟知している存在。
そして史規の「繰り返し」を根強く受け継いでいるので、
543人目の史規の歩みを模倣する。最後に東へ向かったとされるのは、
博麗神社のある場所が幻想郷の東に位置することに由来。
帰る場所と還る場所を両方持った存在ともいえるだろう。

当然、視聴者はずっと彼の道のりを見てきたからこそ、
あのエンドシーンはなんらかの形で幻想郷に帰ってきた史規本人であってほしい、
という願いは強く持ってしまう。
実際そうかもしれないし、今尚そうと思っているのだが、
あくまで可能性を含んでいるだけとはいえ、色々と史規の歩んだ道のりと符号する点があり、
"匂わせ"演出として締めくくっているこの粋な計らいに対して、
その解釈は我々視聴者に委ねられている、ということだ。

ちなみに視聴者の私としては男Cは史規であり、
紙袋の中にはのびーるアームが入ってて魔理沙に返すくだりがあったっていうビジョンが見えてます。
真相が明かされないなら、真実なんて人それぞれ違ってていいんですよ。

# by makky_cys | 2023-03-16 22:00 | レトスペ雅
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こんばんは、Makkyです。
予告どおり、今回は第3部でも大きなカギを握っていた白玉楼の妖怪桜、
「西行妖」について触れていきます。
レトスペ本編では、そこまで深い掘り下げがなかったため、
「そういうものがある」程度の認識に留まっている方がほとんどなのではないか?
という思いに至り、アーカイブとしての役割を持つ雅な時間の出番やな!
と考えた次第です。

何よりこの妖怪桜、一言で片づけるにはとてもじゃないほどに深い設定が盛り込まれているため、
語るだけでも相当な時間を要します。そのチャンスをなかなか設けることができなかったのですが、
今回ようやく向き合える日がやってきました。
っというのも、過去の雅な時間でも「触れる」としておきながらやれなかったので、
その回収でもあります。
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本題に入る前に、先に触れなければならない部分があります。
それは 「幽々子と紫」 の関係。
二人の間柄を抜きにして西行妖を語ることは決してできないので、
前置きとして触れていきます。
また白玉楼について、妖夢についても改めて補足していきます。



幽霊と亡霊と怨霊(悪霊)の違い
白玉楼の主でもある西行寺幽々子の種族は亡霊であることから、
彼女は既に死んでいる身である。
では、幽霊と亡霊とは何が違うのだろうか? 怨霊との違いも踏まえて説明する。
まず 「幽霊」 とは日本の民間信仰の中で、
人が死亡して、肉体から魂(たましい)が離れた後も、未練や遺恨を解くために、
現世(うつしよ)に残り、生前の姿で幽か(かすか)に可視化したものを指す。
肉体はなく、実体ではないので、朧(おぼろ)に見えたと考えられる。
何故なら普通に見えれば、霊ではなく人にしか見えない、若しくは蘇生した人と考えられてしまう。
未練を伝えるために発現する幽霊にとって、
「普通の人に見える」は逆に都合が悪いわけだ。
日本では、幽霊の描写として 『乱れ髪に天冠(三角頭巾)、死装束の足がない女性』 という、
芝居やお化け屋敷などでの典型的な姿でイメージされることが多い。
これは具体的に「幽霊とは何か」を伝えるための創作的表現にすぎず、
実際の幽霊はこのように姿が鮮明でないため、人の姿を持たない。
ちなみに、海外の幽霊(ゴースト)は足があるものが多い。こんなところで文化の違いが。

一方、「亡霊」は、人間などの生きたものが死者の塊となり集まる様子。
死者の魂そのものを指す言葉。
死んだ人の魂や霊が、生前の肉体が亡くなったあとに、
"死んだことに気付かず"生きていたときの姿のまま突然あらわれる様子をあらわす。
つまり、表現として描かれる幽霊絵こそ本来の亡霊象とするわけだ。
この時、死者の魂は、マイナスの感情に支配されていることが多いようで、
それは 「『亡霊』であり続ける条件」 であることと直結しているのだとか。
故に 「亡霊」 とは人を襲う霊魂の類でもあると解釈される。
ちなみに"死んだことを知る=自分の死体を見る"と亡霊の身は幽霊へと戻り、
亡霊としての条件が維持できなくなり消失するとされている。

そして「怨霊」だが、これは悪霊と同一視されることが多く、
生前酷い目にあって死んだ者が根強い恨みを遺して亡霊になること。
その恨みは祟りとしてこの世に在り続けるので非常に悪質。

なんだかどれも似たような感じだが……箇条書きで比較するとこうだ。

幽霊
・ユラユラとそこに漂うだけの存在(滞在型)
・おぼろげなので姿形が不明瞭(色々壁など通り抜けできる)
・攻撃的ではない
・心残りが解消されれば成仏する

亡霊
・さっきまでいなかったのに突然現れる(移動型)
・人間のような姿をする(実体があるので壁など通り抜けできない)
・攻撃的になることがある(常に攻撃的というわけではない)
・幽霊以上に未練があるのでなかなか成仏しないが条件が満たされれば成仏する

怨霊
・場所だけでなく人にも憑き伝染する(憑依型)
・姿がそもそもみえないが明確なビジョンで現れることもある(現象寄り)
・殺意増し増し
・ずっと残るので曰く付きの場所には近寄らないなどの対処が必要

大体こんな感じ。また、似たような言葉に 「お化け」 があるが、
「お化け」は単に人を驚かせることで他人の恐怖を糧に食べるものが「お化け」であるため、
人を襲うことはないという区別の仕方がされる。余談だが、妖夢はお化けが苦手。
幽霊などは問題ないのにお化けが苦手とするのは「驚かされる」行為そのものが嫌なのだろう。
同様に怪談や肝試しも苦手である(怖がり)。
幽々子はこの中で亡霊にあたるので人の姿を保っている、というわけだ。



幽々子の生前
現在は冥界に存在している幽々子だが、
実のところ自身の生前の頃については幽々子自身は一切合切記憶していない。
幽々子の生前・死後の周辺経緯については、
妖夢の剣術の師匠でもあり祖父でもある魂魄妖忌(こんぱくようき)が把握している他、
旧知の仲である八雲紫もまた幽々子にまつわる事柄を承知している。

遥か昔。
まだ幽々子が生きている人間であった頃、
とある有名な「歌聖」と呼ばれる歌人がいた。
彼は桜をこよなく愛しており、死ぬときは立派な桜の木の下で死にたいと考え、
その望みどおりに立派な桜の下で生涯を終えた。
しかし、彼を慕っていた多くの者が続くようにしてその桜の下で死のうとしたため、
その桜は人の精気を吸って妖怪となってしまい、咲くたびに自ら人を死に誘うようになってしまった。
この桜の木の下で死んだ歌人には娘がいた。それが西行寺幽々子である。
幽々子は元々「死霊を操る程度の能力」を持っていたため、
一部の人々に畏れられていた(幽々子の傍らにふよふよ漂う霊魂がいるのもこの力の影響)。
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だが、それゆえに半人半霊で生まれてくる魂魄家の妖忌や、
妖怪である八雲紫とも人間の身の頃から親しく接することができたという。
のちに妖怪桜として開花してしまった西行妖の強大な力の影響によって、
この力は 「死を操る程度の能力」 に昇華してしまい、
桜の木と同じく、単純に人を死に誘うだけの存在となってしまう。
幽々子は父が愛した桜が人を殺すだけの妖怪になってしまっていること、
自身も同じ人を殺すだけの存在になってしまっていることを嘆き疎んじ、
その桜が満開の時に桜の下で自害することを決意する。
自らの死でもって封印するという愚かな提案には幽々子を慕う妖忌や、
紫らはそれ以外の方法はないかと悪戦苦闘するものの結果空しく、
ついには幽々子の覚悟を引き受けることを約束することとなる。
この力がある限り転生しても同じ苦しみを味わい続けるだろうと考えられた結果、
「幽々子の死体」を鍵として桜の木に封印を施すのだった。
これにより西行妖が咲いて人を殺す事は無くなり、幽々子が転生する事も無くなった。



亡霊後の幽々子
姿形こそ生前の面影を強く残す幽々子であったが、
亡霊となり先述のように生前の記憶を全て失ったことで、
かつて親交を深めた妖忌や紫との思い出は彼女からは 「なかったこと」 にされたのだった。
同時にその身に刃を突き立てる理由ともなった能力 「死を操る程度の能力」 も積極的に行使するなど、
性格や価値観も変化しており、紫ともまた 「新たに邂逅」し赤の他人から友人になる過程を歩むこととなる。
紫にとっては「再会」なので、このへんのくだりはレトスペにおける史規と咲夜の話に通じるところがある。
「二度と苦しみを味わうことの無い様」に輪廻の輪から外れたことに加え、
自ら命を絶つに至らしめた苦悶や悲嘆もまた忘れることとなった様子である。
また、この能力は変わる前同様「死霊を操る」部分も引き継いでいるため、
幽霊・霊体となった存在を操ることもできる。
このことから幻想郷管轄の閻魔より冥界での幽霊たちの管理を命じられており、
冥界の永住が許された。現在では、その冥界の白玉楼に住まいつつ霊達の管理全般を行っているワケだ。
この一件は現在、四季映姫・ヤマザナドゥが引き継いでいるわけだが、
当時、この任命した閻魔は彼女でない可能性はある(当然四季映姫である可能性もある)。

亡霊となってから幾星霜。
安穏な日々を送るとある日、幽々子は書架で 「富士見の娘」 という古い書物を見つけた。
そこに書かれていた「富士見の娘」にまつわる記述を見、
死者のみがあるこの冥界に実体のある亡骸があることに興味をもつ。
そして、開かぬ桜木である西行妖の元に封じられているという「富士見の娘」を復活させようと試みる。
他者を死へと誘うことしかできない幽々子が、「初めて死者を復活させようと」したのである。
これが『東方妖々夢』における「春雪異変」へと繋がることとなる。
「富士見の娘」とはつまり、幽々子本人のことであり、
もし西行妖を満開にするようなことがあれば、封印が解けて幽々子の死体が解き放たれ、
幽々子を亡霊のままでいさせている力も失われる。それはつまり、幽々子自身が消滅してしまう事を意味する。
妖夢は妖忌からこのことの重大性を聞かされてはいたのだが、
うっかり春度を集めることに協力してしまったあたり未熟者であることが露呈した。
当時は霊夢たちに阻止されて計画が失敗したため、彼女が「富士見の娘」の正体を知る事は無かった。

幽々子は特別に生への執着を持ったまま死んだ訳では無いが、
西行妖の封印の力によって亡霊となっている。
幽々子自身には執着も恨みの思念も全く無いため、近くに居ても害の無い珍しい亡霊と言える。
亡霊はいずれ幽霊に戻り閻魔の裁判を受け、
地獄なり天界なりに行くか転生するかとなるが、幽々子はその例外である。
上記の通り外部の力によって亡霊になっているため故意に封印を解かない限り幽霊に戻る事が無く、
またその能力の関係で地獄から冥界に永住する事を許されているため、彼女が次の段階へ進む事は永遠に無い。
とはいえ最近の趣味に 「自分の死体の保存」 が新たに加わり、
現在こそ幽々子は桜の下の死体の正体を既に知っている可能性がある。
亡霊の身は自分の死体が供養されてもまた消失してしまうので、
満開にならない西行妖を眺めて愛でるのと同時に、
自身の死体の"隠し場所"としての最適解であることをあながち愉しんでいるのかもしれない。



死を操る程度の能力
他の存在を「死」へと誘うことができる。
この能力は「文字通り抵抗なく人を殺すことができる能力」であり、なかなか凶悪。
さらにその死後の状態である霊もまた彼女の操作可能範囲であることを挙げたうえで、
「目を付けられたらまず敵わないだろう」としている。
ちなみに最も得意とするのは「毒殺」なのだとか。

加えて、死後に赴くことになる彼岸において、
閻魔らの判決の結果悪行なしとして転生または成仏の準備のため冥界行きが決定した際には幽々子に出会う、
ないしは再会することとなる。
冥界の管理人という側面も持つため、この冥界にいる折に幽々子の怒りを買うようになことがあると、
転生の輪から断たれ彼岸に逆送還されることとなる。
この場合、「地獄に堕ちる」という仕組みだ。
幽々子は「死」や幽霊を操るだけでなく、
その能力と権限との複合技である一面において「死」のその先の行方までも操ることができるのである。
このことから推測するに、
紅魔館をあとにし、レミリアと別れた際に訪れた「前の史規の死」は、
偶然の事故ではなく幽々子の手によって殺められたと考えられる。
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つまり、あの虫型の妖怪は幽々子の能力により「死へと誘われた"道具"の一環」と捉えることができるのだ。
実際、そのあと史規の亡骸を復元し、肉体(542人目)と新たな魂(543人目)とにわけ、
それぞれの行方を操ったかのように描写される。
このときから既に異変の種を撒き、幻想郷改変の段取りを行っていたと思われる。
過去の考察では「死んでしまったあとの処理」を改変したと考えていたのだが、
「死んでしまった」のではなく「殺した」と考えれば、
もっと前から能力を使っていたのでは?という解釈に至った。
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幽々子と紫
前述したとおり、紫は幽々子の生前からの親友である。
遥か昔のことなので幻想郷が博麗大結界で守られるより前の時代にまで遡るお話。
幽々子の持つ「死霊を操る程度の能力」を畏れなかった妖の一人が紫であったとされる。
もともと西行寺家の姫君ということもあり、
外の世界に触れず箱入り娘として育てられたことに加えて、
自身の能力により周囲からも煙たがられていた。
そういった意味で孤独であった彼女に分け隔てなく接してきてくれた貴重な存在であった。
幽々子自身もこの能力からして人ならざる者と自覚していたこともあり、
例え相手が人外だとしても、交流をするという点に人も妖も境界はなかったのだ。
スキマを使って外の世界を見聞きしたり、妖忌の剣術指南を嗜んだり。
その交流はいつしか親交を深めるまでに至っていった。
幽々子の父が亡くなり、西行妖の力の影響で死姫となった親友を助けるため孤軍奮闘し続けた。
紫の力でもってしても西行妖の力を抑えることができず、
遂には幽々子の策を止められずに儀は成してしまう。
親友を失った紫はどうにかして封印を解除しようと試みるが、
非情に難解な封印を解くことも叶わず、西行妖と共に幽々子もまた永眠するのであった。
この封印状態にある西行妖ごと冥界に転移させようと画策したのは紫であり、
当時の是非曲直庁とも連携を図った経緯を持つ。
その対価への代償として幽々子は冥界管理人、しいては白玉楼永住が許されるのである。
いってしまえば、幽々子は保護されている身でもあるのだ。
当時の西行妖の力を抑えきれなかった自身の無力さを痛感し、
その力を増やすために紫が行った行為のひとつに「月面戦争」がある。
結果的に敗北という形に終結したが、この時侵攻した月の都テクノロジーを参照に、
結界への熟知をより一層深めた紫は、ついに博麗大結界を提案・実装できるにまで至る。
冥界に永住するようになった幽々子のもとに再度訪れた紫。
彼女にとっては二度目の再会であったが、幽々子にとっては「はじめまして」。
また再び、彼女たちは親交を深めていく。
記憶を失ったとはいえ、亡霊となってからも相性はよく、
もはや阿吽の呼吸でもってお互いの意思疎通ができる仲である。
この月面戦争には亡霊となった幽々子も同席していたという。
紫が閻魔をおそれる理由のひとつに、この頃の"貸し"があるためと考えられる。
是非曲直庁の管理下として冥界はあり、
その経緯の発端を知っている唯一の組織でもあるからだ。
「親友を二度と失いたくない」という信念のもと動いた紫にとって、
きっと彼女の二度目の死は計り知れないものとなるだろう。
なので、少しでもその真相に近付くようなことは避けたいと考えていてもおかしくはない。
白黒つけることに長けている映姫はそういう観点では、
「話を濁す」ってことすらしなさそうだから尚の事ヒヤヒヤなのだ。
幽々子はというと(過去の記憶が一切ないため)そんなこともつゆ知らず、
自身の死体をも対象に今の身分を面白おかしく生きている(死んでる)、というのだから世話しない。
いや、知らないというよりも実は既に"察していて"わざとこういう風に振舞っているのかもしれない。
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魂魄妖忌
西行寺幽々子の生前から長年剣術指南と護衛をしていた人物。
冥界移住後は白玉楼の庭師として300年ほど過ごすようになる。
現在は頓悟(とんご※)し、庭師の役目は孫娘の妖夢に受け継がれることになる。
ちなみに、妖夢の使う二振りのうち白楼剣は魂魄家しか使えないとされているため、
もともと彼が扱っていた可能性はある。
西行妖と幽々子の関係を知る数少ない人物の一人。
満開の西行妖も見たことがあり、その危険性ももちろん知っていた。
そのことを妖夢に伝えたつもりだったが、妖夢が幼かったからか、
妖忌の説明の仕方が悪かったのか、うまく伝わっていなかった。
そのため『東方妖々夢』にて妖夢は西行妖を咲かそうという行動に出てしまう。
(※長くきびしい修行を経ないで、一足とびに究極の悟りに至ること。仏の真実に触れ、即座に仏果を得ること)

魂魄家の家系は代々半人半霊であるため、妖忌にも半霊がついている。
半人半霊であるため、人間よりも年をとるスピードが極端に遅い。
これは妖夢も同じで、史規の543回の歩みを把握していたのも、
妖夢がそれだけの月日を経験していた所以でもある(とはいえ妖夢の年齢は60歳未満のハズだけど)。
妖夢の剣術の師というだけあり、
その剣の腕前は今の妖夢が相手をしたとしても文字通り赤子の手をひねる程らしい。
また、とても厳格な性格だったらしく、
主人である西行寺幽々子は彼のことを「頼りになるけど苦手」としていた。
真実を斬り、雨を斬り、空気を斬り、時をも切り伏せたという経緯を持つ。



西行妖と反魂蝶
幽々子の生前でも語ったように、元々は普通の見事な桜であった。
父である「歌聖」を始めとした多くの人間の精気を吸ってしまったが故に妖怪桜となり、
その力は幻想郷でも最高クラスの力を持つ八雲紫ですら手出し出来ないほどにまで膨れ上がってしまう。
しかし、幽々子の亡骸によって封印されたため、現在では春になっても花をつけることはない。
勘違いされがちだが、西行妖によって幽々子の本体(=死体)が封印されているのではなく、
幽々子の死体でもって西行妖の強大な力を抑えているのだ。
ちなみに西行妖もまたもともとは冥界に咲く桜ではなく、
これを封印している幽々子の死体ごと(亡霊となる前の段階)冥界へと転送。
紫の助力もあり妖忌と共に"移住"している。
そののち、是非曲直庁の命によって現在の冥界管理職を任される運びとなるわけだが、
西行妖を幻想郷の地上ではなく冥界に置くことで隔離したという側面もみて取れる。
また別案件ではあるが実際それから幽霊が膨大に溢れかえったことで、
冥界の敷地を拡張したという経緯も持ち、同時に西行妖の管理も容易となった。

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幽々子のスペルカードに「反魂蝶」があるが、
これは西行妖の散らす花弁をモチーフとしたもの。
最高段階でもってしても「反魂蝶 ‐八分咲‐」となり、決して満開にはならない。
上述の通り満開になると幽々子が消滅するためで、「満開にしない」といったほうが正しいか。
一方、作中では登場しないラストワードとして「西行寺無余涅槃(さいぎょうじむよねはん)」が存在する。
これは事実上、「反魂蝶」の最上位互換と捉えられ、「幽々子の最大奥義、彼女の死」と称されるほど。
スペルカード特有の「ごっこ遊び」が可能にした「疑似的な『反魂蝶 ‐満開‐』」に相当するのだろう。
死の境地ともいえる圧倒的な美しさを誇る。



亡我郷、反魂蝶、その華開花すること能わず
ボウガキョウ ハンゴンチョウ ソノハナカイカスルコトアタワズ
幽々子のテーマ曲「幽雅に咲かせ、墨染の桜 ~ Border of Life」のオーケストラ調アレンジ。
時代としては古めでありながら、今尚受け継がれる原曲アレンジの中でも屈指の名曲である。
作中ではスペルカード「反魂蝶」が繰り出されるシーンにて展開された。
オペラ調のコーラスは全てラテン語で構成されており、
生きるための意味、そして死へ向かう歩みをテーマに奏でられる。
まさに幽々子と西行妖の「生と死」の関係性をイメージしたものだが、
作品のテーマにおいても史規の魂の歩み、
精神の生き様と見事にフィーリングしているため、今回ここで紹介させていただく。
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『亡我郷、反魂蝶、その華開花すること能わず』
 Original:「東方妖々夢」より “幽雅に咲かせ、墨染の桜 ~ Border of Life”
 Album: ARCHIV-EAST
 Vocal : NOC
 Arrangement : MORRIGAN
 Copyright © 2007 / WAVE

原文歌詞
Alea jacta est, Mors certa, hora incerta.
Nosce te ipsum. Vive hodie.
Natura duce, Nunquam aberrablmus.
Dii a nullo videntur, ipsi autem omnia vident.
Petite et accipietis.
Pulsate et aperietur vobis.
Forsan et haec olim meminisse iuvabit, Disce gaudere.
Petite et accipietis.
Pulsate et aperietur vobis.
Ignoranti quem portum petat, Nullus suus ventus est.
Nemo ante mortem beatus, Anteoccupatio.
Alea jacta est, Mors certa, hora incerta.
Nosce te ipsum. Vive hodie.
Natura duce, Nunquam aberrablmus.

英訳
To the stars through hardships.
Nobody is blessed before death takes them.
Anticipation of the opponent's arguments.
The die is cast, death is certain, the time is uncertain.
Know yourself.
Divide and conquer, live today.
We will never wander with nature as our guide.
The Gods see all and are seen by none
Ask, and you shall receive.
Knock and the door will open for you.
Perhaps one day we will look back on those things
And learn to cherish them.
Ask, and you shall receive.
Knock and the door will open for you.
The wind is never favorable for those
Who do not know where they are going.

和訳
人は、終わりを迎えて幸福が訪れる。
それは、いかなる者全てにおいて。
なぜなら、死は確実であり、時は不確実なのだ。
ならば己を知り、今を生きなさい。
自然に導かれれば、決して誤ることはないのだから。
神は全てを見通してはいない。
自らを識れるのはあなただけ。
これからも、真実を求めなさい。
目的が無い者には、いかなる風も吹かないもの。
ゆっくりと、静かな足取りで「その日」は、あなたにも訪れる。
だから、悔いの無い道を歩み続けなさい。

何故生まれ、何故死んでいくのか。
生まれてくる意味、死ぬまでに何を残すのかという問いかけ。
人とは何かを成し遂げるために生まれ、成し遂げたとき死んでゆく。
時間という制約のある有限の世界で、
どのように選択し、そして決断し、迷い、悩み、それでも前を向いて歩んでいく。
いつかたどり着く真実に向かって。
結果を求めるからこそ過程があり、過程があるからこそ結果がついてくる。
そうした人生観そのものはレトスペという作品の全てだ。
このテーマ性をこのシーンで発揮してくるのはもう流石というほかない。
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その魂に安らぎを
もう一曲。
こちらは作中ではなく昨年こちらの企画で投稿したばかりの「MEMORIES」における主題歌
先ほどの曲と同様に幽々子と西行妖の関係性をテーマにしただけあって、フィーリング具合は絶妙。
故に一緒に紹介しているというのもあるのだが、
こちらはよりレトスペ作中全体の構成や流れにもかかってくるので色々と聴き比べて欲しい。
同じ原曲アレンジにおいてどちらも名曲でありながら音楽ジャンルとしては全くの別路線。
しかしメッセージ性は同じ方向を向いているので、この包容力には脱帽せざるを得ないですよね。
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『その魂に安らぎを ~ Dignity of Spirit』
 Original:「東方妖々夢」より “幽雅に咲かせ、墨染の桜 ~ Border of Life”
 Album: Hypothetical Box Act.2 / Act.3
 Vocal : 天外冬黄
 Arrangement : 紫煉
 Copyright © 2010 / 2019 / Unlucky Morpheus

華やぐ記憶を愛おしく数えながら 未練を唄う唇に血が滲む
幼い少女は闘うことを選んだ 決意に捨てた骨を拾う者もなく
長い冬と夜を越え 尽きぬ時が終わるとも
やがて君は知るのだろう ただ一つの真実を
忍ぶれど忘れ得ぬ遠い過去の 亡骸に刻まれた深い傷痕
悪戯に遺された白い腕は あの花の業よりも赤く染まって
止まった時間を狂おしく覚えながら 惹かれ合うように集う目覚めの時を
幼い少女はただ待つことを望んだ 裁けぬ者の法であるかのように
長い冬と夜を越え 尽きぬ時が終わるとも
やがて君は知るのだろう ただ一つの真実を
気まぐれな惨劇が雲を揺らす 人知れぬ咆哮の名も無き歌よ
同じ傷に心を分かつ者の 声にならぬ叫びが頬を濡らして
歪んだ景色を何度でも拭いながら その目に宿す光に胸が騒ぐ
幼い少女は闘うことを選んだ 覚悟と希望 傍らに従えて
遅い春を待ち侘びて 咲かぬ恋が朽ちるとも
やがて君は知るのだろう ただ一つの解答を
この路を "振り向くことはできない"
抜けるまで "欺かれてはならない"
宿罪を "忘れることはできない"
裁くまで "終わらせてはならない"
Hurt my pride! Stab my back! 消せない傷を背負ったから
Over drive! Stand your life! 抗うことで近付くなら
Heaven’s Door! Stop my grudge! その手掛かりを掴んだなら
Over drive! Stand my life! 安息など二度と来ない奈落へ
長い冬と夜を越え 尽きぬ時が終わる頃
君は辿り着いただろう 笑顔で逝けるのだろう
この願いを遂げたなら 背中を見届けたなら
我も在るべき場所へと あの桜が呼んでいる


あとがき
「輪廻転生」、「生と死」、「出会いと別れ」、「約束と覚悟」、「人の縁」。
これらのキーワードにおいてレトスペのゴールが白玉楼であったこと、
真の異変の黒幕が幽々子であったことはある種必然であり、
彼女もまた隣接するような体験をしてきたというわけだ。
こうしてみると幽々子と紫こそ真の主人公といえるのかもしれない。
紫と同様にして「幻想郷の外のこの国を心から愛する愛国者である」ことから、
レトスペにおける幽々子は彼女なりのやり方で幻想郷アップデートを志したにすぎない。
自分を許してくれた幻想郷というこの世界に、
護ってくれた是非曲直庁という機関に、
そして何より自分を信じてくれた紫という親友に。
そのすべてに「恩返し」するための策。
今度は「博麗の巫女」を対象に定め、この異変を画策したのは彼女たちの過酷さ、
その一身を背負いこんでいるかのようだ。
あの苛烈さはここにすべて収束しているといっても過言ではない。
ラスボスが主人公たるポテンシャルと足りえるのはそれほどのドラマがそこにあるから。
何故主人公が主人公と呼べるのか、何故ラスボスがラスボスと呼べるのかというのは、
全てが「信念」という言葉にかえってくる。
tokatiさんのキャラメイクがつくづくキャラ愛に長けているのはそこがブレていないからなんですよね。
自分もそういうのに惹かれるタイプなので、
斬紅郎イズムでずーっと語れるのはちょっとこれと同じだからなのかもしれない(笑)

コロナ禍ないしはインフルエンザの影響でなかなか外出するにも、
人の多い場所にのぞむのも億劫な期間ではありますが、
まだ桜の季節じゃないですけど、いっぺん盛大な花見を目の当たりにしてみたいですねぇ。
色々想いを馳せてみたい。

※2023年1月15日追記。


# by makky_cys | 2023-01-14 22:00 | レトスペ雅
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あけましておめでとうございます。Makkyです。
昨年は「一話投稿から10周年記念」から再熱し、前回の三魔女記事でもって70個目の投稿となりました。
本編44話なのにまだまだ書ける自信がついてきたかのようです(笑)
今年もよろしくお願いいたします。新春レトスペは、いいぞ。

さて、新年一発目はちょっと閑話休題。
本編のそれとはだいぶ趣旨の違うことをやっていきたいと思います。
箸休め的な 「真面目に不真面目」 回。


つまり…
おっぱい大戦争だ!!!!!


お待たせいたしました。
今か今かと待ち望んでいた紳士諸君の方々の歓声が聞こえてくるようです(幻聴)。
おっぱい。それは幼い頃から現在に至るまで生涯の憧れです。
ソムリエといたしましては、レトスペキャラを語る上では外せない要素だと思ってるんですよね。
しょうがないじゃないですか、ヒトの本能なんだから。
小さいのから大きいのまで。
幅広くレトスペは抑えてくれているので調査という名の吟味をね、していきます。
雅な時間 Again Vol.3_d0284766_09315062.jpg






評価は「大きさ」・「美しさ」・「その他」の項目ポイントで採点していきます。
数字ではなく、C ~ S 表記で行います。
「大きさ」はバストサイズそのまま、見た目としてのインパクト重視。
「美しさ」は形や、全体のバランスまわりを。
「その他」はステータス値に捉われない他付加価値パッシブスキルです。
あと、完全に私の主観です。
よろしくお願いします。


博麗霊夢
大きさ:A+(S-)
美しさ:A
その他:A
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さすが純ヒロイン兼主人公の風格。
バランスが凄すぎます。初見でもって「でっ……!」という反応を下してしまうほどに見張ってしまう素晴らしさ。
ただ大きいだけでなく、霊夢の良さが出ている秘訣は何といってもへそ。
くびれ部分を露出させることで、よりおっぱいがアピールできてるといいましょうか。
このメリハリの付き方はもはや「美」です。
へそと同じく腋だし衣装の影響もあって肩も少し露出している点。
おっぱい部分の外壁が露わになっていることで防御の固さが如実にありながらも、
一見すると防御を蔑ろにしているアンバランスさは相手に油断を生じさせることに成功しています。
史規でもってして「艶やか」と言わしめただけあって(おっぱいにいったわけじゃないけど)、
巫女、然とした姿勢は流石といったところ。
体はしっかり鍛えてそうなのでやわらかさとはりのつよさの両面を持っているのもポイント高いですね。
その他の要素としては、やはりサラシにあります。
ただでさえ大きいのに、見てくれ以上にもっとあるのか?と想像させる異次元装置。
既に巨乳の粋にあるというのに、まだなお隠れ巨乳というステータスまで付与させる秘めた実力。
この計り知れなさは博麗の巫女としての潜在能力と見事にかかっているのは天晴と言わざるを得ません。
真正面から眺めても大きく、横から眺めたときは横パイの可能性がチラチラよぎるあたり、
視点によって発見を齎せてくれるのは男子にとってはかなり強い部類にありましょう。
こうした「大きい」だけの一点集中型ではなく、
その他の要因のバランス加減がオールマイティさに直結しており、
「ザ・主人公」のポテンシャルを地でいってます。スト2でいうところのリュウ・ケンタイプです。



霧雨魔理沙
大きさ:C
美しさ:B
その他:A
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いいですか。
これが普通なんですよ。さすが普通の魔法使い。
霊夢の次に紹介されちゃうからなんかいきなり評価が下がったように見えちゃうじゃないですか!ヤダー!
違うんですよ。評価が低いんじゃないんですよ。これが基準なんです。
ただ、どうしてもこの幻想郷には規格外の相手がいますぎますからね、
相対的キャラランクとしてこの位置づけにせざるを得ません。
しかし、だからこそ魔理沙の良いところはこの普通さなんですよ。
だってずっと見ていられるじゃないですか。
この安心感ですよ。毎日見ていられる。
真に価値があるというのは、たまにいって美味しい!!と絶賛するラーメンよりも、
毎日食えて全く飽きがこないラーメンにこそあるような。このね。素朴さ。
結局、私たちが帰ってくるところは魔理沙のような普通にあるんです。
普通こそ最強。FF5だってすっぴんが最強。
誰だって帰りたいんです。
魔理沙のいいところは、ここに「恥じらい」が多分に含まれることです。
ずっと見ていられるといっても、
ずっと見ていたらわりと短時間のうちに逃げられてしまうか、
マスパがぶっぱなされます。そこに価値が生まれるんですよね。
おっぱいには羞恥心も大事です。
見て!っていう強いおっぱいも大好きですが、
見ないで!という主張も同様に評価しなければなりません。
霊夢と違って、「見られている」点に敏感な反応を起こすのが魔理沙の良さです。
つまり、弱点であると認識していると同時に、それが武器にもなると自負しているという強さ。
あれなんかこれ前回の記事でも言ったな。
基本ステータスの低さをその他の部分で補うあたり、
天才の霊夢に対しての努力の魔理沙ならではって感じですよね。
その他項目では同じAクラスにいってるんです。
もし魔理沙に恥じらい要素がなかったらここの評価もC寄りのBだったでしょう。



十六夜咲夜
大きさ:B
美しさ:S
その他:B
雅な時間 Again Vol.3_d0284766_10381147.jpg
正直なハナシ、バランスでいったら霊夢を超えてるかもしれません。
あまりにも美しい…。
大きいことはいいことなんです。
でも必ずしも大きければ良いってわけじゃぁないんだよっていうのを示してくれてるのが咲夜さんですね。
これが完全で瀟洒たる所以か…。
私はメイド好き属性を持ち合わせていないんですが、
咲夜さんは自身のスタイルとメイド服が奇跡的に噛み合ってしまったタイプですよね。
私服とかだとパンツルックでスカートとあんまり縁がなさそうな印象なので、
メイド服そのものがなんか色んな意味で勝負服になってそうなイメージ。
美しさの在り方として、まず顔。
そして次に脚に注目してしまいがちなので、おっぱいが最優先項目になってないのが弱みであり強み。
三番目以降でようやくおっぱいのターンが来るので、
そのときの「うわ…キレイ…」っていう魅力はとても若干格が違います。
自然に見惚れちゃうようなおっぱいへの道のりはだいぶ評価したいですね。
大きすぎないだけで確かに、確実に"ある"サイズ感なのも絶妙でベスト。
咲夜さんの真骨頂は膝枕してもらったときにだけ訪れるおっぱいアングルでしょうね。
これは我々には決して拝めることができないので想像するほかないのですが、
青い史規君だけその世界に入門を赦されそうでちょっとパルいです。
見られることに対してはめちゃくちゃ免疫ありそうなので、
恥じらいとかなり遠い場所にいるのが面白いところ。
メイド長として抜群に強いポジションにいるのは確かなのですが、
それゆえにそこで留まってしまっているという点でその他の項目はレイマリに及ばずといった次第。
膝枕許可された場合のみSいきます



魂魄妖夢
大きさ:C+(B-)
美しさ:C
その他:B+(A-)
雅な時間 Again Vol.3_d0284766_01344046.jpg
魔理沙と同じ小さいグループに属すが、意外とある妖夢。
剣士としての素質があるため、見てくれには無頓着な様子はあるが恥じらいはかなりある子。
着飾ることはないゆえに地味娘の印象が強い反面、
そんな子が脱いだら実は普通以上にあるギャップはかなり良い。
強調するような衣装ではないのにも関わらず、
服の上からでもわかるその存在力はついつい視線を送ってしまう。
着れないものはあんまりない!
二刀流を振舞うにあたり、本来ならC以下くらいのが本人としては理想なんだろうが、
無駄に揺れない程度には鍛えているだろうと伺える努力と、
そこにコンプレックスを感じていない様相なのは推せる。
っというのも己の主とその親友様には到底及ばないがゆえに割り切ってる感漂います。
霊夢、魔理沙、咲夜ら人間組に比べても背丈が低いわりにというのもあって、
低身長の強みが良い具合に活かされてますね。
鍛えてるとはいってもみょんに柔らかさそうな気配を感じますし、
半霊揉んだらおっぱいと同じ感覚とかそういうのないですかね。
凛々しさにプラスしてあどけなさ、垢抜けてないのが"今の"良さを際立ててます。
逆にそれらから脱却して垢抜けたとしても、
それはそれでまた少女から別の女性としても化けそうで期待値が凄い。
本人お化け嫌いなのに。良い逸材ですね。



アリス・マーガトロイド
大きさ:A+
美しさ:S
その他:A+
雅な時間 Again Vol.3_d0284766_11032773.jpg
霊夢のライバルポジションにいるだけあって、圧倒的ポテンシャル。
覇王丸に対する牙神幻十郎、草薙京に対する八神庵。
二人が並んだだけで映えます。映え。
スレンダー美女でありながら出るところははっきりと出ており、
それでいて霊夢よりも高身長(咲夜と同レベル)という格の在り方。
モデル体型とはこういうのを指すのでしょう。
総じて高い数値なのに霊夢同様一点集中型ではなく、優れたバランスの良さが素晴らしいです。
黒インナーに覆われながらも、他キャラにはない「谷間」を見せつける特異性。
アリスだからできたこと、他ではできなかったことを平然とやってのけるのは強さしかありません。
明確な谷間がありながらもいやらしさ、エロさには直結せず、
むしろかっこよさに繋がっているのはライバルキャラとしても申し分ない存在といえるでしょう。
ロングスカート+黒ストというのも強いですね。
上記4キャラと比較してもスカート丈は最も長く、
脚をみせないことで強制的におっぱいへ注視させていくスタイル。
しかしながら時折みえる黒ストの魅力につい、
おっぱいからそちらへ意識させてしまうテクニックはまさしく魔法といっても過言ではないでしょう。
こんだけ強いおっぱいを持っていながら、それ以上の武器を隠し持つというのもアリスの醍醐味です。
「なかなかお目にかかれないからこそ貴重」を地でやってるのか狙ってやってるのかは未知ですが、
だからといって凝視していると赤さん人形に殺られちゃうぞ!



射命丸文
大きさ:B+(A-)
美しさ:A
その他:S
雅な時間 Again Vol.3_d0284766_11284696.jpg
全体的なバランスとしてはかなり私好みの贔屓体形です。
しっかりと良い物を持っているのに、
それを武器とせず徹底して美脚~太ももでアピールしてくる様相はまさに狡猾。
「おっぱいに頼らないでも勝てますよ? まぁおっぱいでも勝てますけどね」などと、
天狗な態度を許されるのは彼女だけでしょう。
この手の、「わかってて『やらないをやる』」という強さは相当ポイント高いです。
自信に満ち溢れた女性というのはどんどん色んなところを武器にして当然ですし、
それを維持するための素質と、衰えさせない器量は少なからず努力の賜物ですので。
狙ってやるとただのあざとさに直結してしまいがちですが、
彼女の場合はあからさまに狙ってやってるのにあざとさが出ていないところ。
脚からのおっぱい、おっぱいからの脚の両方をやれてしまうところ。
ここまで徹底してやってるので見られることに対して恥じらいもない。
それはもう「余裕」の境地に至っているので、ムカつくけど完全に作戦勝ちです。
故にその他項目をSとさせていただきます。
いつかわからせたいおっぱい筆頭です。



パチュリー・ノーレッジ
大きさ:S++
美しさ:B+
その他:B
雅な時間 Again Vol.3_d0284766_11400977.jpg
デカァァァァァいッ説明不要!!
我が軍は圧倒的じゃぁないか。スカウターぶっこわれの戦闘力を持つ唯一の存在。
断言します、レトスペ作中キャラにおいておそらく最強です。究極無敵銀河最強魔女。
魔力か?魔力がそうさせているのか?!
若い頃からこういう育ち方をしたのか、後半から一気に育ったのか…。
そこに至る考察を全て浪漫でもってのぞませてくれるおっぱい。
このおっぱいには夢がつまっています。
胸を強調する衣服ではないこと、そして彼女は虚弱体質であること。
そのうえで元気ハツラツは一点集中型の極意ですね。
他が劣っていても全然構やしないスタイルは、ちょっと他では体験できません。
本編でもシチュエーション的には周りに誰もいない二人だけの密室で過ごすということが多かったため、
ドキドキ感は常にありました。
時計の針がすすむ音だけの演出、ちょっとたまりませんね…。
史規でなければ頭がどうにかおかしくなります。
本人はおっぱいに対して特に何もしていないので、本来ならその他Cなのですが、
これでいて恥じらいをしっかりと持っていること(表には出さない)、
そしてインドア派がSクラス以上のギャップを加味して1ランクあがってBとしました。



レミリア・スカーレット
大きさ:C-
美しさ:S
その他:A+(S-)
雅な時間 Again Vol.3_d0284766_11403113.jpg
ちぃさァァァァァいッ説明不要!!
ついにやってきました。確実に貧乳クラスといえる小さき世界。
最胸のデカさを持つパチュリーに対して、本当にちょっぴりなレミリア。
そしてレミリアのほうが全然年上な親友同士というのだからギャップもたまりません。
レミリアは吸血鬼の誇り、そして紅魔館の主としての風格を常に保ち、
誰よりも(背丈が)低く、誰よりも(胸が)小さくても、誰よりも大きい存在。
それが凄く良い。胸の小ささなんてどーだっていいんですよ。
子供のやる「ワガママ」ではなく、
お嬢様であるがゆえに「我がまま」をいく姿勢はもうかっこいいの境地に立っています。
しっかりと自身の体形にあった衣装を選び、着こなし、
威風堂々と過ごすのはもはや魅力そのもの。
カリスマとカリスマクラッシュの両面をやりつつも、
時折魅せる色気は他を圧倒します。
このナリでこれほどの色気は全くロリコンではない私ですらドキっとする瞬間があるほど。
要するにやばい。
霊夢と同じく腋を出しており、かつノースリーブ。
その上背中もパッカーーンと開いており、
小さいから邪魔なだけなのか面倒なだけなのか、
ノーブラ説まで浮上しているレミリアからは「貧乳だからできる」強さを前面に出している稀有な存在。
背丈も小さいからあえて姿勢を前かがみにしてのぞかせるように上目遣いをしてくることや、
なんなら「しっかりと見なさい」といわんばかりの主張の強さは侮れません。
その証拠に幾度となくパチュリーと横並びになることが多かったのに、
見た目でパチュリーにだけ持ってかれてないのが本当に凄い。
なので美しさ、その他ともにS相当とさせていただきます。



紅美鈴
大きさ:A+(S-)
美しさ:S
その他:A+(S-)
雅な時間 Again Vol.3_d0284766_11405306.jpg
美鈴もまた霊夢と同じタイプのスタンド
アリスも含んで3すくみでおっぱいの試合ができる実力の持ち主です。
体術ができる女の子は総じて素晴らしいポテンシャルですねぇ…。
その中でも一際美鈴は体術において他2名を圧倒しますから、
脱いだときの体躯はさぞ美しいでしょう…。さすが名前に「美」を冠しているだけあります。
ロングストレートの髪型は美鈴のトレードマークではあるが、
どんな髪型でも似合うだろうとい想像の余地と、背丈の高さともバランスが実によく取れています。
推しポイントは咲夜さんと同じタイプの両サイド三つ編みおさげがちょうど胸のところに位置するところ。
良い具合に乗っかってくるのでそこが本当に美しい。
咲夜さんですら届かなかったところが美鈴なら届いているというのもまた対照的なデザインになっているんです。
チャイナドレス調のスカートもあって脚だけでなく腹筋~腰回りからアンダーへの意識も高く、
この大きさだからこそより成り立ってる感は強い。
これ以上大きかったり小さかったり、また背丈が低かったり高すぎたり、
細くても太くてもアンバランスになってしまうでしょう。
「メリハリ」において全キャラ中最強クラスであるのと武人めいた妖怪でありながら、
人間のように恥じらう愛らしさまで兼ねているので、
知的めいた外見のわりに天然色が強く、
それでいて見た目通り明るい性格でこの大きさは世の男性諸君で嫌う人はまぁいないはず。
親近感を最も抱きやすい女性の要素ほぼ全てを網羅してるといっても過言ではないですね。
本編ではどうしてもサブキャラ(脇役ではない)のポジションに身を置いてはいたが、
メインヒロインに匹敵するどころか、美鈴で何か話が描ける程度には来ていた実力は見逃せません。



小悪魔
大きさ:C+(B-)
美しさ:A
その他:A
雅な時間 Again Vol.3_d0284766_23125937.jpg
美鈴とは違ってモブ寄りのサブキャラに徹底を貫いたキャラ。
……のはずなのだが、見た人全員の記憶に焼き付く圧倒的な存在感を見せた最強のモブ。
「喋ったらアカン」タイプの美少女で、伊達に「悪魔」と呼ばれる存在ではないですね。
パチュリーの使い魔ということもあり、どうしてもおっぱい戦闘力は凡・凡・凡といった感じだが、
この安心感漂うスタイルは魔理沙同様沼ると危ない。
幸い、本人はパチュリーにのみお熱なので「私なんか見てる暇あったらパチュリー様見ろや。見るなや!」
という理不尽極まりない悪魔じみたやりとりは平然とやってきそう。
司書めいた格好もあってかなり清楚系が漂う。そこは悪魔系じゃないんだ。
ロングスカートに長袖なので肌の露出もかなり控え目ではあるが、
整ったネクタイが程よいおっぱいを絶妙に強調してくれてます。
下着はものすげぇのつけてそう。
性格あんななのにピシっと衣装を着服してるのはかなり好印象。
襟元とか乱らになっててもおかしくないのにそれはしないというのは「仕事する女性象」としては優秀。
咲夜さん同様いい匂いしそう系おっぱいです。



チルノ
大きさ:C-
美しさ:B
その他:C
雅な時間 Again Vol.3_d0284766_23143528.jpg
妖精ですからね。
明確に子供として描かれているのでこれは当然といっちゃぁ当然のサイズです。
便宜上レミリアと同じC-ではありますが、事実上作中最低ランクの大きさですね。
ザ・貧乳。いや、まだ「おっぱい」として成熟してないほどのカテゴリ戦力外です。
なので貧乳ですらないですね。もしかしたら巨乳になりえる素質を未来あるのかもしれません。
妖精は自然からの発現なので、「かわいい」という観点ではそれはそう。否定できません。
ただし、鳥や猫や花や赤ちゃんを「可愛いと思う」そういうかわいいなので、悪しからず。
美しさポイントがBなのはそんな混じりっけのない可愛さから。
着飾ることもしてないし、仮に「おっぱい」を理解していたとしても、
本人は純真無垢ゆえに「女の武器であるおっぱい」は知らないはずなので、その他も何もないCです。
チルノのCです。



大妖精
大きさ:A
美しさ:B+
その他:B
雅な時間 Again Vol.3_d0284766_23190065.jpg
妖精ですからね。
明確に子供として描かれて………………るのにでけぇ!!
さすが胸が大ちゃん。
チルノと並ばなくてもわかるほどには大きいし、実際魔理沙や妖夢、咲夜さんを余裕で超えてる…。
妖精にも色々あるんですね。とはいえ、そこはやっぱりチルノと同じ妖精ですから。
「おっぱい」への認識は同様に持ち合わせていないということにしておきます。
「なんか私のチルノちゃんより大きいけど、なんでだろう?」みたいな。
でもチルノは別に大きさは認識できていても、そこに何の差があるのか何の違いもありゃしねぇだろうが!
と自分こそ最強と思ってる子なので大丈夫です(違うのだ!)。
とはいえ、とはいえですよ。チルノのワンピースと違って、
このサイズでもってしてもピッタリとシルエットを出せる服装を選んで着ているのは、
「ただサイズの大きい服を着てる」わけじゃぁないってことなんですよね。
ダボってない抜群のフィット感。
さらにガチで天然清楚なあどけなさとおしとやかさを兼ね揃えているのにおっきいというギャップはズルい。
え、それってつまり認識できてるってことですか?
という未知の魅力があったので、チルノより全ての項目で凌駕しています。



西行寺幽々子
大きさ:A
美しさ:S
その他:A
雅な時間 Again Vol.3_d0284766_11540728.jpg
和服美女というのは抗えないものです。
だって日本男児ですから。
完全な和服でないにしろ、ここまで着込んでいてもわかるサイズ感はパチュリーと同一の方向性でありながら、
それでもやや控えめに決してデカすぎない美しさに一点集中しているところですね。
大きいようでデカくない、でもちょっと大きいおっぱい。
幽々子様の凄いところは一点集中型でありながら、バランス型と疑うほどに各項目の数値が高い点。
結果的にアリスや美鈴と並び、霊夢の上位互換と言わしめるほどの存在感は見入ってしまいますね。
史規でもってしても揺さぶられた美しさは伊達じゃぁありません。
亡霊の特異性なのか、大食でありながらもこの体系を維持していること、
仮にダイエットをしていたとしてもバストサイズは落とさないようにしてるのは神調整の鬼。
持って生まれた美貌を死んでもなお持ち続けているストーリーには大評価です。
天然色がありながらも、すべては計算づくでやってる人でもあるので、
おっぱいに対する反応も相手の出方次第で十人十色変えてきそうなのと、
そのうえでどこまでが本気でどこまでが戯れなのか計り知れない点も奥深いですね。
とにかく凄い境地にいる方。



八雲紫
大きさ:S
美しさ:S
その他:S
雅な時間 Again Vol.3_d0284766_23243900.jpg
雅な時間 Again Vol.3_d0284766_23244719.jpg
で、でた………。
ついに出てしまいました。オールSという結果に…。こんなのチートよチート!!
まず抜群の大きさ、全ての視線をあらゆる角度からでも受け止めてくれる全容系おっぱいの宝庫と美学。
しっかりと出てるのに清楚感たっぷりでいやらしさを感じない。
脱いだら脱いだですげぇんだろうなっていう想像の余地。
明らかに大きいのに自身の身長と衣装、
そして髪型との調和が見事すぎて大きすぎないように見えてしまう擬態系おっぱい。
さらには道士服だけに留まらず、深淵イメチェンモードの実装で谷間まで強調してくる始末。
どっちの衣装の場合でも「美しい」が優先され、エロいとかそういう概念すら無力になるのだ…。
至れり尽くせりの紫おっぱいですが、
少女としての一面を備えてありながら、隣に住む素敵なお姉さん気質、
初恋の若い担任教師気質、クラスメイトのお高いけどフラットな委員長気質、
そして幻想郷の母ともいえる母性までそこにはあり、
年下から同い年~年上に抱く全ての憧れの対象であるおっぱいがそこにはあります。
贔屓といわれようともしょうがありません。参りました。客観的に完璧です。
序盤中盤終盤隙の無いおっぱいです。スキマが入る余地すらありません。
幻想郷は全てを受け入れる、それはそれは残酷なお話ですわ。
本当にありがとうございました。



四季映姫・ヤマザナドゥ
大きさ:A+
美しさ:A+
その他:A+
雅な時間 Again Vol.3_d0284766_23195247.jpg
個人的に、個人的にですよ。作中一番心奪われたおっぱいです。
数値的に別に最強でもない、かといって劣ってる部分もない完璧なバランスでもって保たれています。
作中唯一、トランジスタグラマーという特異点評価を持つ映姫様。
背丈は比較的小さいのに出てるところがしっかり出てるのはもう全力で眺めてしまいます。
他二次創作においても、レミリアと同じタイプの体形にされがちな映姫様ですが、
昨今のイメージではそこが随分とかわってきました。
そう、いわゆるアダルティ気質の映姫様です。
ロリータ気質な傾向が多かった当時に比べ、
今ではむしろ高身長(霊夢や魔理沙より高い)かつグラマーな傾向に意識がかわっていった矢先のことでしたので、
レトスペの映姫様はその両面を兼ね揃え、それでいて低身長とはいえ相対的には決して低くあらず、
「全体的に小町と比べれば」に留まっているにすぎないスタイルで描いてくれたのが非常に良いんです。
とにかくここまで私好みでフックしたのはそうした「変化の兆しと解釈の度合いにおいてもフック」したため、
安心感としては絶大なモチベーションに至ったってのはあります。
映姫様の登場も予想よりもかなり早く、
5話にてその姿を見せてくれたので「大人な雰囲気」漂う映姫様にどれほど狂喜乱舞したことか。
そういった思い入れ補正はこれまで雅な時間でも深く言及しなかったので、
今回は実はこれを改めて発表する場として設けました。
絶対領域なのもいいですよね……(おっぱい関係なくなった)。
故に「解釈度」という観点でいくならば紫を超えるオールS+です。
これは当然全キャラにもいえるんですけどね(全員オールS)。
選択するという物語において、
裁定者・選定者の側面をもつ映姫様を描く解釈においてこちらを選択してくれたからこその今ある結果。
因果とは面白いものですよね…。この選択に感謝!



小野塚小町
大きさ:S
美しさ:B+(A-)
その他:A
雅な時間 Again Vol.3_d0284766_23320180.jpg
小町のイメージは映姫様と違って大幅にブレにくいキャラってのが強いですよね。
大体この解釈に行きつくといいましょうか、大きいことはいいことだ!
美鈴と同じくバランス型にあり、見てよし揉んでよしの最高峰おっぱいの持ち主。
意外にも谷間をみせないスタイルを徹底しており、
よほどの着衣乱れが起きない限りはうっかりもないであろう説得力はこんなにも大きいのに、
やはり安易なエロさに直結してこないのが素晴らしい。
和服調ではあるが幽々子様とは違う路線であり、結構カジュアル。
大鎌の存在感があるのでなかなか初見でおっぱいに注視しづらいのだが、
一度気付いてしまうと気になって仕方がなくなってくるのに加え、
谷間がみれるかもしれない期待値が常に見え隠れするので油断できない。
高身長ではあるが体つきは華奢寄りで、「ザ・女の子」というスタイルは三途の河でもきっと評判であろう。



ミスティア・ローレライ
大きさ:B
美しさ:B
その他:B
雅な時間 Again Vol.3_d0284766_23390436.jpg
作中では「店主」として描かれたモブ中のモブ。
それが最終回で美味しい役を持っていくのがにくいですね(笑)
ミスティア本来の衣装ではなく、所謂女将さんスタイルのミスティア(通称おかみすちー)。
モブに徹しているからこそ主張も決して強くはないが、咲夜さんと同レベルにある存在感に加え、
女将というポジションが背景とシーンに実によくマッチしている。
こんなお姉さんが経営してるお店にいったらお酒の勢いもあって通っちゃいますよね。
そんな設定があるわけではないが、
元ヤンを彷彿とさせる威勢さから清楚系からでは摂取できない江戸前おっぱいがそこにはあり、
そんな子が女将姿で料理を振舞ってくれるというシチュエーションはかなり熱い。
自身も酒が入ったらカラオケ勝手にやりだしそうなので歌ってる美声(美声?)を聴きながら、
おっぱい凝視チャンスがやってくるだろうという遊びには興じてみたい。



総評
おっぱいもまた個性のひとつです。
レトスペ世界線における彼女たちの容姿は原作や他二次創作では味わえないものなのも確かなので、
これもまたレトスペ体験の一環と捉えることができるでしょう。
あくまでも「このキャラはこの項目ではこの評価」という指標にしかすぎませんので、
彼女たちの優劣を決める場ではなかったことを改めてご承知ください。
全員が皆レシオ4,全員が皆主役です。
また、作中本編では登場しなかった伊吹萃香さんは今回調査外とさせていただきました。
しかし、並べてみると実にバランスがいいですよね…。
長年レトスペとは付き合ってきてますが、
視聴周回で飽きが全然こないのもこうしたパっと見の外見要素に支えられている…
ってのはあるのかもしれません。
中身を深く知る前にキャッチーなガワというのもまた重要なところですから。
基本「少女」でありながら、レトスペではより「女性らしさ」を信念という強さと比例して描かれます。
初見時こそ「でっ……!」という印象も後半になるつれ、みるべきところがかわってくるといいましょうか。
それは慣れとは別の観点なので、この不思議な感覚もまたレトスペ体験の醍醐味なのでしょうね。
今回はそうした初見時の直感的な印象と、まじまじと眺めた際に受ける感想を調査という形で吟味しました。
いかがだったでしょうか。



さて、次回の雅な時間のロードマップをひとつ。
明確な投稿日こそ不明とさせていただきますが、近日中にVol.4、Vol.5を投稿します。
先出情報としてVol.4の題材は「西行妖について」。
Vol.5は「中有の道の『男の子』について」です。
それぞれがどういった深堀になるのか楽しみにしておいてください。
また、バックナンバー全てのレイアウトと文体を現在の最新形に統一修正をはかります。
当時は改行や空白、フォントサイズに違いをあまりつけていなかったので、
書いてある文章はそのままに視覚的読みやすさ重視をプラスしていくといった形です。
場合によってはスクショ追加もあるかもしれません。
これらは随時更新としていきますが、アプデ内容のみ末尾に追記しておきます。

今年もまた雅な時間をよろしくお願いいたします。

# by makky_cys | 2023-01-09 10:47 | レトスペ雅
雅な時間 Again Vol.2_d0284766_22145459.jpg
Makkyです。
先日の12月8日、PS4及びswitchにて待望の「魔法使いの夜」が発売されました。
この作品はもともと2012年にWindows作品として発売された、
TYPE-MOONの送る至高のビジュアルノベルゲーム。
「レトロスペクティブ東方-雅-」においても多大なる影響を与えた、
ルーツのひとつともいえる作品です。
本作の次世代機移植にあたり、当時はなかったフルボイス化及びフルHD高解像度化が施され、
"懐かしさ"と"新しさ"の両方を体験できるものとなっています。
普通、それほど数年前のタイトルを現行機で移植となると、
シナリオ、そして新曲の追加などのプラスアルファがあるものですが、
この移植版、なんと当時のまんまです。シナリオに変更も追加もなく、
楽曲も当時のまんま。追加要素は先に述べた基本2点のみという強気の徹底さ。
唯一OPタイトル曲のみ、当時の面影を完全に残しながらリファインされた「魔法使いの歓談」という新曲。
新曲とはいっても、やはり当時の「魔法使いの夜メインテーマ」そのままであり、
奏でられる音色により彩と深みを増したものなので旋律そのものは変わりません。
それほどまでに"完成された作品"といっても過言ではないでしょう。
だからこそ、当時遊んだ方は"懐かしさ"を、
そしてそもそも「魔法使いの夜」をまだ遊んだことのない方には"新しさ"を。
どちらの層にも異なる体験を楽しめる作品となっているのです。
是非この機会に触れてみてはいかがでしょうか。
雅な時間 Again Vol.2_d0284766_06395862.jpg
さて、今回の「雅な時間」のお題はズバリ「魔法使い」。
いわゆる三魔女と呼ばれる魔理沙、アリス、パチュリーの三名にスポットを当てます。
レトスペだけに留まらず、東方作品においてもともと私は三魔女がべらぼうに推しなので、
キャラ推しトークを踏まえながら、レトスペ作中の彼女らを今一度紐解いていこうと思います。





早速語っていきたいのですが、
その前にまず 「魔法使いとはなんぞや?」 っていうのを先に解説していきます。
RPG大国である日本においてゲームはもちろん、その他全ジャンル。
そしてファンタジー作品が映画・アニメ・漫画問わず途方もなくある古今東西。
これほどまでに多岐に渡って展開していることから正直な話、
そも 「『魔法使い』って単語を知らない」 って人はほぼいないんじゃぁないかと思う。
パっとしたイメージでも、大体の想像はつくだろう。
とんがり帽子を被って黒装束に身を包み、空飛ぶ魔法の箒に乗り、黒猫や鴉を使役する…
だいたいそんな感じ。
何故彼女らにはそんなイメージがついたのか。
少しルーツを探っておこう。


魔法使い
魔法を扱う者の最も広義的な通称。
全体的に超常現象や奇跡的現象を起こせる者を差す言葉であるため、
たまに超能力者といった未知なる能力を扱う者も同意義で使われることがある。
その魔法というのは直接的な攻撃であったり、不思議な力で補佐したり実に様々。
総称であると同時に、「魔法を使う者」の階級としてはわりと下っ端なイメージとしても使われる。
例えば魔力の格差による対比で下っ端魔法使い⇔上級魔導士みたいな指し方がそれだ。
一般的にはその能力が先天性であれば「(元から)魔法使い(という種族)」、
修行などにより後から身に付けたような後天性なら「(人間による生業とする)魔法使い」といった具合だ。
種族と職業とで棲み分けが違うのでちょっとややこしい。
東方世界においても明確な「魔法使いの定義」というのが存在するので、改めて後述する。

魔法使いには実に多くのバリエーションがあるので、簡単に並べておく。
・wizard(ウィザード)
・sorcerer(ソーサラー)
・enchanter(エンチャンター)
・mage(メイジ)
・magician(マジシャン)
・magic user(マジック・ユーザー)

代表的なのはこれら。RPGでは特によく耳にする単語だと思う。
どれも細かい違いはあれど「魔法使い」を指す固有名詞だ。
この中でウィザードは上級魔法使いを指す「魔術師」として個別の称号となっており、
ソーサラーなどよりも上のクラスとされる。
また日本では同音異義語として「魔導師」と「魔導士」がある。
魔法使いとして独立することを志し、自らの意思で魔法を使う者や導師的立場の者を「魔導師」、
王侯などの国や組織の命令で魔法を使う者や修行中の者を「魔導士」と使い分けるそうだ。



魔法と魔術と魔導の違い
凄く良く似てる言葉たち。
実はこの下りは冒頭で紹介したゲーム「魔法使いの夜」でも語られている。
似ているが、全く異なる言葉なのでこれらもここで補足しておく。

魔法とは
人間の力では成しえないような不思議な現象や力。
現象そのものを指しており、俗にいう奇跡のこと。
本当に何もないところで火を起こすとしたらそれは魔法だ。
タネも仕掛けも全くなく起こせる類のもの。
総じて不思議な現象自体やそのシステム全体を指す。

魔術とは
知識や技術の集大成ともいえる幻術的な力。
幻術的とはつまるところ、人を惑わす不思議な力であり、今でいう手品(イリュージョン)に近い。
何もないところから火を起こしたかのように魅せる技術だ。
秘匿されたタネも仕掛けもどこかに必ずある類のもの。

魔導とは
魔法や魔術を追求・研究すること。
魔法や魔術に魅入られた人が「もっと凄いことができないか?」と探求する様子。
何もないところから火を起こすことの規模をもっと広められないか、
もっと時短できないか?などを一心に考え、その力を世に知らしめたいと思う職業に勤めることだ。
魔法や魔術を手段とするならば、魔導は目的にあたるものと思ってもらえばいい。
魔法使い=魔導士とされるのはこの所以であり、
逆に"魔法士"や"魔導使い"という言葉がないのもこのためだ。



魔法と科学
しばしば魔法と科学はよく似ていると云われる。
例えば「妖怪」もそうなんだけど、基本的に魔法や妖怪という超常現象の類というのは、
それが何故起きたのか? どう生じたのか? 誰がやったのか? という疑問や謎が解明できないもの。
つまり、「わからない・理解不能」な不可思議現象の別名でもある。
この手の「わからない」ものに対して人間ってのは存外恐怖を抱くものなのだ。
正体不明、未知なる存在。それら得体の知れないものってのは脅威であり、畏怖の対象である。
わからないんだったら、じゃぁこいつのせいにしてしまおうっていう明確なビジョンを描いて生まれたのが妖怪だ。
本当の正体が「わからないまま」であったとしても、
そいつの仕業という仮初の姿形が「わかっている」と不思議と未知なる脅威には怯えなくなるもんなのよね。
ホラー映画の初見はちょう怖いけど、二回目以降はもうあの怖さはなくなったってのと同じアレです。
これはどの時代でも、どの国でもそれは人間(或いは生物全部)に必ず生じてきていたこと。
なんだったら、今起きてるコロナ禍なんかもそうですよね。
人間の歴史では流行り病、所謂疫病というのは必ず起きていて、
令和でそれが起きてしまったに過ぎない。
原因がわからないので誰かのせいにして、対策がわからないので安心できずにいて。
もし、コロナに対しての完全打開策が判明したら一気に脅威は失せてくることだろう。
今なんかもう危機感薄くなってる気はするけど………。

…少し脱線しました。
魔法と科学が似ているとされるのは、こうした不可思議現象だけでなく、
当時では全く理解されなかった装置や医療知識、
はたまた天気予報などといった普通の人間では考えもしないような技術開発そのものが酷似しているから。
遥か遠くの地にいる人と一瞬で会話ができたり(電話)、
その場で火を起こしてみせたり(ライター)、
男を女にしてみたり(性転換手術)……etc。
現代では当たり前にあることも、過去からすれば異常事態であり、
理解の及ばない人からすればそれらは面妖なる奇跡、魔法である。
こういうあらゆる結果論だけでなく、そもそもの発端としても科学の出典は、
キリスト教において「神が創造した世界がいかに精緻に出来ているか、その見事さを味わい賛美しよう」
というところから出発した、とされている。
故に当時から聖職者は科学者としても側面を持っていたのだとか。
そして現代の科学も、知識をシェアすること、すなわち論文にして発表することが絶対条件だ。

一方、魔法にあたる「オカルト(超常現象)」も、"秘匿された世界"という意味から転じて、
この世界には「隠れた秩序(まだ知らない法則)」が沢山あるだろうから、
「それらを発見して、理解して、利用しよう」っていう考え方を持っている。
言葉は違うけどもニュアンスとしてこの考え方や価値観、凄く似てますよね。
だからこそ、科学はまさしくオカルト。つまり魔法といえるのだ。
しかし決定的に違うのは、これらオカルトは科学と違って、必ずしも論文発表はしない。
発見・発明を秘密にしたかったり、
あるいは「何でかよく分からんけど、こうやるといいみたいだ」という曖昧な知識を含んでいると、
発表しないことだってありえる。ルールとして定まっていないから。
このような背景から、昔は総じて魔法と呼ばれていた現象も、
論文によって表世界に出たものが科学へと化け(=認知される)、
依然として確定的に及ばない謎を含んだものが魔法としてあり続けていると考えられる。
まさに光と影。魔法と科学はあながち表裏一体なのではないだろうか。



魔女(ウィッチ)
ウィッチとは先述のウィザードの対象が女性であることを指す。
「魔」という言葉の強みや、
「魔女狩り」という時代背景が実際にあったことからも魔女は忌み嫌われた存在であり、
現代でも未だにそのイメージは根強く残っている。
ディズニー作品などではヴィランとしてもよく登場し、狡猾でおそろしく描かれるほどだ。
その一方でジブリ作品の「魔女の宅急便」ではライトで華やかな悪くないイメージを持つ。
ヒロイックな魔女っ娘を主人公とした正義感溢れる作品が他にも多数あるのも確かだ。
ここまで嫌われ者と憧れの対象の両方を持つ存在はなかなかいないだろう。
冒頭に触れたとおり「魔法使いの女性」が略されて魔女なのだが、
フィクション作品は抜きにして、実際に彼女たちは魔法を使えたのであろうか?
先ほど述べたように、魔法は現代の言葉で言い換えれば医療知識や、技術開発の一端を担う。
また、もともと「ウィザード」も「賢き者(ワイズマン)」から来ており、
そもそもの発端は知力に長けたものから時代と共に認識が変わっていったと想像できる。
魔女と呼ばれた彼女たちも実際はそっちよりで、博識で聡明な女性たちであった。
民間療法に長けた知識を持つ薬師としての側面を持っていたのだ。
グツグツと煮える大きな壺で何か得体のしれないものを作っているイメージもあると思うが、
もともとあれは毒とか化学兵器でなく漢方や医薬品なのである。

疫病が萬栄していた頃、
いずれ魔女と呼ばれるようになる女性たちはその疫病にかからず健康に過ごしていた者もいたという。
実は街に蔓延るネズミから病原体が感染するという事実が判明する前から、
単純にネズミを狩る目的として猫を飼っていたのだ。
当然、猫は古来エジプトより家畜化されているため馴染みある動物の一種ではある。
だが、当時の現地ではとある理由で猫を飼うことは厳禁とされており、
ペットとしての地位をまるで確立していなかった。
彼女たちはそのうえでひっそりと猫を飼う(=人間に慣らす)という術を自ずと学び、
手懐けていたというわけだ。
いまいちわかりづらいかもしれないが、
野生として過ごしてきた完全な野良猫を家猫として落とし込むために、
どれほどの労力と知識が必要かを想像してもらうと伝わりやすいか。
駆除したネズミにかこつけて鴉たちも彼女たちの家によく居たという。
そして清潔にも気を使っていたため、掃除用具の箒はもちろんあった。
媚薬も作れた彼女たちは"女たちのみ集会"として、
箒の突起物にそれを塗り、跨ぐことで"空を飛んでいた"という。
これらは睡眠の質向上、月経痛の改善など女性にしかわからない問題の情報収集の場と捉えて貰っていい。
エッチは叡智なのだ。……エッチは叡智なのだ!(2回言った)

とある理由というのは、中世ヨーロッパにおいては、キリスト教が絶大な力を持っており、
他の宗教を排除する動きが活発化していた。
元来、エジプト由来の猫を崇拝する宗教一派もいたわけで、
それらを弾圧するために「悪魔の手先」として猫そのものも不吉の対象としてみるようになった背景があった。
この状勢が不幸にも宗教と関係のない彼女たちにも、その矢を向ける形となったわけだ。
これらの情報を蚊帳の外にいる当事者でない者が断片的に拾い、
その誤った想像から魔女が生まれたということ。
魔女という仮初の存在が生まれたのち、
それらをさらに忌むべき存在に仕立てあげるためにイメージ付与されたものがある。
ここでようやくとんがり帽子の登場だ。
魔女のとんがり帽子のみ実は、偏見から生み出されたものであり、
実際に彼女たちが被っていたわけではない。
その由来は三角形であり「角」のシンボル、すなわち「悪魔と繋がる」ということから選ばれたというのだ。
箒に乗って飛んで行った彼女たちはサバトの地に向かうとされ、
このサバトに住む悪魔は、山羊の角をもっている姿なのだという。
魔女はその配下として三角帽子が角の代わりに与えられたという"設定"が勝手に作られてしまった。
また三角帽子自体が「異端の象徴である」ともいわれている。
中世ヨーロッパで三角というのは、「魔術の象徴」だったという説もあり、
魔女を描写するときに、神秘的なものであるというイメージを意図的に持たせ、
それが皮肉にも今日まで続いているというわけだ。
こうした歴史的背景で追っても仮初の姿と実態の姿が全く異なる「魔女」。
忌み嫌われる者と憧れの対象として今もなお両立しているのは、
この根強い確執にも似た「まじない」が「呪い」へと変わってしまったせいなのかもしれない。



東方世界における魔法使い
「少し」といったのに全然少しじゃなかったですね。
長い前置きもようやく終えようとしている(笑)
以上がいわゆる私たちの世界における一般的な魔法使い、魔女の条件だ。
では、幻想郷において彼女たちはどういう括りなのか。
冒頭で少し触れたようにこちらの「魔法使い」にも種族としての魔法使い、生業としての魔法使いがある。
先にいっておくと魔理沙が「人間の魔法使い(生業)」、
アリスとパチュリーは「生粋の魔法使い(種族)」に分類される。
「完全なる魔法使い」という概念もあり、人間から考えると大きく三段階である。
人間は「捨食の法※①」を習得すると「生粋の魔法使い」となり、
「生粋の魔法使い」は「捨虫の法※②」を習得すると「完全なる魔法使い」へと至る。
レア度でいったらSR「人間」→進化SSR「生粋の魔法使い」→昇華UR「完全なる魔法使い」。
 ※①「捨食」とは食事と睡眠をとらなくてもよくなる魔法で、魔力によってそれらを補えるようになるもの。
 ※②「捨虫」とは身体の成長を止める魔法で、いわゆる寿命を撤廃する不老不死の術。

これらを習得する理由は一貫して「時間の確保」である。
幻想郷における魔法使いたちはどれも魔導士の側面を根強く持っており、
彼女たちは自分たちの信念のもと、常に魔法と向き合い研究を続けている。
研究を続けるため、魔法に没頭するために食事や睡眠をとることすらせず、
惜しみなく1日24時間すべてに魔法への探求を毎日行いたいという欲求を満たす、その一点のみだ。
そして、それだけでは飽き足らずいつか迎えてしまう自らの寿命をも対価交換として払う。
魔法使いにとって飽くなき探求に何十年、何百年という月日は「全然足りない」というわけだ。
ちなみに「捨虫」で体得できる不老不死とはいっても、
あくまで寿命による死の忘却に過ぎないので致命的な大怪我や死に至る病では最悪死んでしまう。
なので、日常からしてそうした危機管理は魔女となってからも警戒を張り続けている。



霧雨魔理沙
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SR「人間」の普通の魔法使い。
三魔女の中で唯一人間組の魔理沙。
モットーは 「派手でなければ魔法じゃない。弾幕は火力だぜ」。
自称にして二つ名でもある「普通の魔法使い」のとおり、魔法を使う人間の一人。
元々は人里にある大手道具屋「霧雨店」の令嬢であったが、
経営する父親と確執が起こり勘当家出。
その後は普通の人間にとっては危険とされる「魔法の森」にて住み着くようになり、
自宅兼なんでも屋「霧雨魔法店」を建設、営業開始し今に至る。
魔法の森に住み着くことで人でありながら常軌外れな魔力を蓄えることができている。
その周辺で採れるキノコや珍しい素材、その他魔術的な品、謂れのある品、珍品などを収集・蒐集し、
それらを変化させたり調合したりする事で魔法の素材を作成し、これを以て魅力的な魔法を生み出す。
その過程には魔理沙の地道な研究や試行錯誤の数々が詰まっているのだ。
実は霊夢よろしくそのまま飛空できるのだが、
魔法使いとしてプライドを高く持っており、形から入ることを好む魔理沙はあえてあの衣装に身を包み、
箒に跨って空を飛ぶことに拘っている。

魔法の方向性は光と熱の魔法を主とする。
煌びやかな星型弾幕を用いた「ミルキーウェイ」などを中心とした様々なスペルカードを生み出している。
本来、魔理沙が得意とする属性は五行でいうところの「水」なのだが、
それとは全く逆の「火」の側面を持つ光や熱に注視している。
これは、「木」属性の霊夢に勝ちたいとかそういうわけではなく、
純粋に少女が持つ星への憧れから。あわよくば星そのものになりたいと願っているためである。
かつて自身が体験した「流星祈願会」に痛く感銘を受け、
それから必死で星を模した魔法を追求するようになったのだという。
「恋」の字を自らのスペルカードに命名しているのは、
そうした自分自身が星に恋していることから転じて、
魔法への憧れ・魔法と向き合い共に添い遂げていくという意志表示である乙女心爆発の感情なのだ。
だからこそ形にも徹底して拘る。
本来の得意属性ではないことと、
生身の人間であるひ弱さを加味すると到底普通とは思えない魔法力を秘める魔理沙だが、
そのうえで"普通の魔法使い"といってのける姿はあまりにも尊い。

そんな自称・普通の魔法使いにとって欠かせないマジックアイテムがミニ八卦炉だ。
SRの彼女をSSRどころかURクラスにまで到達させているといっても過言ではない代物。
女の子の片手で持てるほどに小さいが異常な程の火力を持ち、
山一つを焼き払う劫火から一日中じっくり鍋を煮込めるとろ火まで幅広い火力調節が可能。
代名詞である「マスタースパーク」や「ブレイジングスター」を放つ際にもこれが使用されている。
他にも炉の一角から風を出す機能により夏は涼む事ができ、開運、魔除けの効果もある。
オマケに空気清浄機(マイナスイオン付き)の機能まで付け加えられている。
水属性の彼女ですらここまでできるのだから、
もし魔理沙が元来火属性を得意とする魔法使いであったならば、
もはや特大メラゾーマを軽く消し飛ばしてしまうほどの"普通のメラ"を今頃放っていたことだろう。
このマジックアイテムは「霧雨店」で商売修行をしていた森近霖之助(もりちかりんのすけ)による作。
彼は魔理沙が生まれる前から彼女の父と親交があり、師弟の関係だ。
家を出て行った魔理沙を気遣い、彼女の魔法使いとして生きる道を支援するために用意された。
のちに彼は魔法の森入り口に「香霖堂(こうりんどう)」という道具屋を構え、
商売と魔理沙の様子見の両方を兼ねるようになる。
この店には「幻想入りしてきたモノ」が仕入れとして流通しており、
他の妖怪たちをはじめ紅魔館の連中にとっても珍しい代物が稀に並ぶ店として重宝している。
件のミニ八卦炉は「緋々色金(ヒヒイロカネ)」製となっており、
これは錆びない上にあらゆる環境においても材質がほとんど変化しないという優れもの。
おそらく彼女の"生涯現役"はもちろんのこと、
その先のIFの世界(生粋の魔法使いへの昇格)においても長く付き合ってくれる相棒であることは間違いない。

魔理沙が異変解決に身を乗り出すのは、親友である霊夢のため。
そのほか霧雨魔法店のなんでも屋な仕事としての側面など色々あるが、
魔法使いとしての経験修行の場という見方もできる。
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過去の雅な時間でも「火事場レンタル」を取り上げたように、
異変というのは存外、彼女に大きな意味をもたらせてくれる恰好の場だ。
その体験でもって得た知識や見聞、記憶を頼りに新たな魔法研究へのヒントの入手。
そして一見するとガラクタかもしれない物にすら価値観を見出せるのが彼女なりの哲学だ。
三魔女の中では唯一人間のままだからこそ、
自ら"時間の制約"を課しているからこそ強いといえる。
霊夢ですら"強者"として在るこの世界において、
人間の弱さや儚さを理解していることと同時に、
無限ではなく有限な時間の中だからこそ価値観を見出せる感性は魔理沙の真なる武器といってもいい。
本音であれ、建前であれ異変解決に身を乗り出すことは魔理沙にとって一石二鳥どころか、
魔法使いという性でもって一石三鳥以上の価値があるのではないだろうか。
此度の異変において、幻想郷の人間よりもか弱い存在である史規という魂に触れていくに連れ、
彼なりの苦悩、努力。そして決意を知ることとなる。
儚い存在であったはずの彼に宿る熱はまるで流星のように煌きを放っていた。
親交を深めていくうちに、いつしか魔理沙にとっても放っておけない存在となっていったのは想像に難くない。
面白半分からはじまった乱入劇もそのうち次第に純粋な好奇心へと変わっていく。
自身が史規に興味あるので、
それなら相手にも興味を持ってもらおうっていう無意識レベルの行動が27話以降にもしばしば描かれている。
気をひくために史規の話を聞いてあげたり、自分のことを熱く語ったり。
一見すると、まるで好意を寄せている女の子の行動にも思える。
しかしながら魔法そのものに恋をしている魔理沙にとって、それは決して彼に直接向けたものではない。
我々が想像する恋愛模様とは全く別ベクトルにそれはあり、
実際問題自分だけでなく霊夢や他の連中をも動かしていった彼に沸く興味は、
異性としての対象ではなく魔法使いとして手放したくない……といった側面が垣間見えるのだ。

興味を募らせた可能性に魔理沙と史規にはもうひとつ数奇な接点がある。
それは 「帰るという選択への意志力」 だ。
先に触れたように、魔理沙は幼少時の事情から実家を離れ、
今はこうして魔法使いとしての道を歩んでいる。
既にこの選択を貫いた以上、魔理沙はもう 「実家へは帰らない」 という答えを出しているワケだ。
年頃の少女の気持ちを考えると、この決断に至るまでに一体どれほどの葛藤や悩みがあったのだろうか。
今となってはもう魔理沙本人にしか知りえないことだが、
その時の自分と重ねて史規をみていたのではないか?という可能性だ。
選択することの重み、決断したことの重み。
実際、あのとき白玉楼でも親友の霊夢を前にして、
「無効とか言うな」 と笑ってみせたのは外ならぬ魔理沙自身だったのだから(第33話)。
努力と同じで決して表にこそ出さないが、 「覚悟を決める」 という点において、
その重さを誰よりも理解しているからこそ悲痛な顔をせず笑顔を向けられる圧倒的意志力。
あの時 「帰らない」 と決めた自分とは真逆の選択でありながら、
覚悟と決意の重みにおいては全く同じレベル、或いはそれ以上に 「帰る」 ことを選択した史規に対して、
多大なるリスペクトでもって魔理沙もまた 「帰す」 ことを約束する。
この時同時に魔法使いとしての建前の 「放っておけない」 と、
魔理沙という少女視点から見た本音の 「放っておけない」 という二つのジレンマも生じる。
同じ 「放っておけない」 だが、この二つは全く異なる。
建前上では、少しでも長く時間を共有したいという欲求があるのに対し、
本音からすると、史規が 「帰る」 と決断しているのなら全力で支援し速やかに達成させてあげること。
実はこれ、「博麗の巫女」である建前と、
「博麗霊夢という一人の少女」の本音の板挟みパターンと真逆なのが実に面白い。
「全ては霊夢のため」 からはじまった旅路も、それに加えていつしか史規のため、
そして己自身が抱く想いと、まさに三角関係な秘めた気持ちを抱えることになった。
今ここに 「一人の小さな魔女が『三』という数字を抱えた」 のだ。
それが 「抱え落ちはしない主義なんだぜ」 という名セリフとかかってくるとしたら!

名前に「魔」を冠し、生粋の魔法使いでもなく普通の人間の身でありながら、
忌み嫌われた魔女の形となっても尚落ちることなく抱えたものを熱く、光で世界を照らす。

あのハイタッチは、ただボムを受け継いだというだけでなく、
それだけの想いを一身に受け、それを奇跡という魔法でもって完全な形で実らせただけに過ぎない。
魔理沙はSR人間でありながらにしてUR完全なる魔法使いへと一瞬の煌きでもって流星となった。
星が瞬くこんな魔法使いの夜に。
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かつて原作にもある「ファイナルマスタースパーク」と呼んだが、
この名も無きマスタースパークは今こそ 『流星「完全なるマスタースパーク」』
と勝手に名付けたい。私はそう思う。そう視えるようになったとしかいいようがない。

作中ではその後を描かれていないが、そうした彼とのやり取りで手にした「のびーるアーム」もまた、
魔理沙にとって異変の大切な戦利品のひとつになったことだろう。
それは彼と過ごした思い出。
普段は家のどこかにしまっていたとしても、ときどき眺めてはふと思い出す。
そしていつかまた彼と"再会"できる日まで、大事に取っておく。
"返す日"がやってくることを願ってきっと捨てずにずっと持ち続けていることだろう。
魔理沙もまた、異変解決の 「願い」 は戦いの最中で既に叶っていた。
それはほんのちょっぴり 手を伸ばした 程度だけれども。
星になりたいという願いが届き、魔法のように叶ったのだから。
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アリス・マーガトロイド
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SR「人間」からSSR「生粋の魔法使い」へと昇格した魔法使い。
その姿勢について 「他人に無関心で、魔法に執着しやすい」 とされており、
魔法の研究には特に心を砕いている。
「七色の人形使い」という異名を持つように、人形を使役する魔法を得意とする。
この人形も魔法の糸で操られており、魔法の糸もまた魔法で動かすというものである。
日常から戦闘まで普段から上海人形を代表とする様々な人形を駆使するので非情にトリッキー。
扱う魔法は、あくまでも"人形特化"にすぎず、
生粋の魔法使いへクラスチェンジしただけあって一通りの魔法は使える。
何かアリス本人の信念及び拘りがあって人形を使役している、といったほうが自然だろう。
人形使役は一般魔法の応用編のようなものなので、
それらを日常から駆使しているとなると相当器用であるといえる。
人形にはまるで意志があるかのように思えるが、実態として意志は存在しない。
つまり、アリス本体が何も動かず、周りの人形が何かを起こしていたとしても、
アリスが何らかの魔法操作を行っているというわけだ。
当然 「弾幕は頭脳(ブレイン)」 をモットーとしており、見た目以上に相当な魔法使いらしい一面も持つ。
また、元人間という習性なのか捨食の法を体得してからも普通の人間のように食事、睡眠は取り、
本人自身も引き続き"生粋の人間"であるように振舞う。
オフの日には人里へと赴き自慢の人形劇を披露しており、人間からも人気が高いちょっと異例の存在。
魔法使い(妖怪)という非人間種族であることは伏せ、
あくまでも一介の 「人形師」 という建前で人里に踏み入るそうだ。
普段は魔理沙と同じくして 「魔法の森」 に住まいを持ち、そこでひっそりと暮らしている。
時折、魔法の森で迷い込んだ人間や妖精らも暖かく自分の家に迎え入れるようだ。

捨虫の法まで体得したのかどうかは実際のところ不明だが、
あくまで公にされていないだけで体得している可能性は残されている。
レトスペ世界線では、過去の史規となんらかの繋がりがあり、
その延長上として本編ではヴィランとして霊夢たちの前に立ちはだかったため、
姿形も当時の面影を残し保っている=捨虫の法を体得していると考えられる。
っとなれば 「魔法使いとして」 ひとつ疑問がわいてくる。
生粋の魔法使いになったのであれば、魔法研究に1日24時間を遠慮なく使い、
普通の人間ではできなかった生活を謳歌すれば良いのに、
先ほど述べたようにアリスはそれをしていないのである。
ここだけをみると本来の魔法使いの意図とはややズレが生じている節がある。
それならいっそ魔理沙と同様に人間のままでも良かったのでは?という純粋な疑問だ。
ここから生まれる可能性が二つある。

一つ目は、アリス本人の意志とは裏腹に不可抗力によって魔法使いとなった説。
つまり、人間であり続けたいと思っていたのに、何らかの事情で魔法使いへと昇格してしまった、
という可能性だ。とはいえ、捨食や捨虫は自らの意志で体得するものがベースであると同時に、
仮に 「魔法をかけられた」 としても、果たしてデメリットはあるのか?っていう疑問は残る。
所謂不老不死はある種の呪いとも考えられるが、
これも先に触れたように寿命にのみ適用される魔法なので、死のうと思えばいつでも死ねるわけだ。
つまり寿命リセットによる不老不死そのものは決して呪いに足りえない。
さらにいうと、不眠不休で活動できるとはいえ、眠らないことで眠気や疲れはこないし、
食事を摂らないことで空腹になるわけでも餓死するわけでもない。
普通に生活していく上で健康そのものにも別段異常がないのだ。
これって得しかないのである。
なんだったら普通の人間がこの魔法をかけれたらむしろ嬉しいし徹夜だって平気でやるだろう(笑)
本音でもって「人間であり続けたい」を強く主張したとしても、
これらの魔法体得によってその生活が脅かされることはまずありえない。
では、アリスが単純に不器用で「いまだに魔法使いとしての生活に不慣れ」といえるのか?
アリスの頭脳を持ってすれば「していない」は決して「できていない」ではないのでこれは論外。
だとすれば、あえて普通の人間として生活を繰り返している……ということになる。
これが二つ目の可能性だ。
魔法使いは魔法を探求するもの。この前提は依然として、
アリスは魔法を使って何を研究しているのか。ズバリ人間そのものを探求している説だ。
正直なハナシ、人間及び人体の神秘というのはこれほど長い年月をかけてきた人類の歴史においても、
今尚完全に解き明かされていない。現代においてもまだまだ未知なる領域というのはヤマほどある。
意識・無意識の世界、夢の世界、DNAの記憶、"心"という存在………などなど。
最も身近で最も未知なる存在がなかなかどうして人間というものなのだ。
アリスはその人間をテーマに研究を続けるために魔法使いへと昇格したのではないかと私は予想する。
ここでやはり気になるのは人形だ。
人形はもともと 「人形代(ひとかたしろ)」 から由来するといわれており、
身代わり信仰により、人間の身代わりとされたもの。
これは神霊が依り憑く依り代の一種である。
この形代で体の調子の悪いところを撫でて穢れを遷した後に川や海に流すというのだ。
主に子供の成育を祈る風習があり、これは後の流し雛及び雛人形のルーツとなる。
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形代の歴史は非常に古く。古代より存在したとされ、
縄文時代の土偶、弥生時代の人面土器、古墳時代の人物埴輪などにも確認されている。
水に流すものであることから、もとより草木などが素材として使用された。
のちに和紙へと姿を変え、現在においても 「大祓」 という行事が全国の神社で開かれている。
この 「流す」 行為は、後に願掛と結びつき、七夕祭と結びついて短冊を流すこともあるのだとか。
つまり、原典を辿ると人形とは 「願いを叶える」 ためにあるのだ。
人の願い、想いはその先々で災いにも転じ、呪いや祟りとしてもかかってくる。
なかなか魔女めいてきたではないか。
着目すべきはアリスの使役する人形はそうした人形代の最新進化形態、西洋人形であることだ。
上図のような 「人を模したような何か」 ではなく、
「精巧に作られた人間の化身」 ともいえる西洋人形に魔法の息吹を与え、
それこそまるで人間のように振舞う姿は神霊の依代として効果抜群なのである。
最終回において「いつかの史規」の姿を模した人形にアリスはようやく潜めた願いが成就したことを告げる。
忘れないためというのは史規という存在を忘れないというだけでなく、
自らに課した誓いにも似た願いを忘れないという意味も含まれていたのではないだろうか。
この長い長い道のりを探る上で、ひとつ気になるシーンが第1部で描かれていたことに気付く。
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「その言葉を待ってたわ」

私たちが物語を追体験していくうえで、
当時このセリフは霊夢とアリスが違える上で同じ立場、
互角の意味であることを示すと同時に単に決闘の合図の演出として見ていた。
しかしアリスからすると、この史規の発言(=彼自らによる意志表明)こそ、
ずっと待ち続けていた願いの欠片だったのだと今なら受け取れないだろうか。

元来、妖怪とは人間の畏れから生まれた。
そして妖怪は人間からすれば脅威となり、圧倒的な力を持つ存在でもある。
しかしながら妖怪の歴史において、人間は妖怪を退治する側の存在なのだ。
アリスは魔法使いという立場において、
元人間と現妖怪という両方の側面を体験しているからこそ、
人間を最も理解している部類の妖怪といえる。
それは生物学的なことだけでなく、人間の心理・考え・発想・価値観などにおいても、
並の妖怪ではわかりえないことまで掴んでいるといってもいいだろう。
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これは 「未知なるもの」 への克服と同一である。
先述のとおり未知なるものは恐怖や畏怖の対象であると言った。
つまりアリスの研究は 「恐怖の克服」 という絶対安堵のためのものという観点もあるのではないだろうか。
「本気を出したらあとがない」故に普段から本気を出さず、
ベールに包まれた 「アリスの本気」 というのはアリス本人にしか知りえない。
それは本当は自分が弱いことが露呈されてしまうのを嫌ってなのか、
それとも本気を出す必要がないほどに強者たる存在なのか。
我々には全くわからないが、どちらにせよその状況に立たされるというのは覚悟を決める、
恐怖に打ち勝つという場面に出くわした崖っぷちの場合のみなのだ。
そう、やはり恐怖がかかってくるのである。
アリスは人生のどこかでこの恐怖と直面し、それを克服するために人間の研究をしていると予想できる。
人間を知るということは自分自身だけでなく、他者のことも含めての理解だ。
未知なるものを魅知なる研究へと対象に代えることで、
今日もアリスは人間以上に人間らしい生活を過ごすため、魔法の森へと帰っていく。







パチュリー・ノーレッジ
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SSR「生粋の魔法使い」として生まれ、UR「完全なる魔法使い」へと昇格した魔女。
レミリアらと共に、かつてこの幻想郷に紅魔館もろとも"幻想入り"してきた一人。
五行である「木」・「火」・「土」・「金」・「水」に加え、「日」・「月」を組み合わせた七曜を司る。
三魔女の中では最も魔法使いらしい魔法使い(超上級)。
妖精や精霊の力による属性魔法を主に使用する。
個別単体はもちろんのこと、二種類以上の属性を組み合わせ、より強力な複合的な魔法を行使する事が出来る。
組み合わせは多彩で、パターンごとに各属性の長所の助長や、
弱点のカバーなど目的や用途などの個性があるものとなっている。
魔理沙でもってして 「眺めてるだけでお勉強してる気分になる」 と言わしめるほど。
実際、魔理沙の恋符「ノンディレクショナルレーザー」 はパチュリーの名も無き通常魔法をトレースし、
自らのスペルカードへと落とし込んだものである。
紅魔館において居候という形で住み込み、普段は地下にある大図書館で魔法の研究に没頭している。
幻想郷一といわれるほどにこの所蔵庫には膨大な数の魔導書が管理されており、
使い魔である小悪魔を司書として扱っている。
全ての魔導書は閲覧や理解において「鍵」が必要であるという制約があるが、
それ自体がマジックアイテムでもある。
またパチュリー自身も魔導書を執筆し、魔法にまつわる書物を生み出している。
その一方大図書館には 「未だ誰も読む事すら出来ない魔導書」 も複数ある様子であり、
パチュリーはそれらの魔導書にも挑んでいる模様。スワヒリ語にもお熱になったりする。
捨虫の法を体得済みなので、このナリで齢100歳を超える。
読書が好きすぎて図書館に引きこもりがちだが、
本や自身の髪の毛が日光で痛むのを嫌うためであり、日陰少女と揶揄されることも。
魔力は三魔女の中では最も強大でありながら、身体はめっぽう弱く喘息持ち。
身体能力は普通の人間にも劣るという。
とはいえ、喘息が起きない調子のいいときは無敵を誇り、
いくらでも詠唱の長い魔法を連発できる絶好調ぶり。
吸血鬼であるレミリアともタメをはれるほどに動ける。
全ては魔法力によるものなので本人はまぁ大して動いてないんだけど(笑)。

余談ではあるが、パチュリーですらまだ開放できていなかった魔導書のごく一部については、
かつて霊夢の術式解除によって開放されてしまい、パチュリーは酷く嘆息した。
この流れから、パチュリーは結果よりも過程を重んじる性格の持ち主のようで、
あらゆる知識への探求はこの過程そのものが満喫できるからとも取れる。
数学者が式の答えだけを単純に求めているのではなく、
その答えを導きだすための式そのものに着目するのに近い。
当然「解」には最終的に辿り着き、そこへ至るものであるのが前提であるが。
この図式は史規に与えた手記にも垣間見えることができ、
決して急がせず、ゆっくりと紐解いていくことに重きを置いた。
時には史規が集中できるようにと、
自身は眠る必要がないにも関わらず「睡眠のために」という口実でもって場を離れ、
彼一人だけにさせるという気遣いも見せたほど。
もともと自分が"幻想入り"してきた身であることで、
この世界(幻想郷)だけでない、別の外の世界の見聞への興味。
そしてその上で尚 「帰りたい」 と願う史規への興味。
それがまたこの紅魔館に戻ってきたという興味は、
ついに関心へと変わりパチュリーもまた魔法使いとしての性に抗えなくなったとみるのが自然だ。
史規自身がパチュリーを不思議と思い眺めていた以上に、
パチュリーもまた史規をよく観察していたのも事実。
史規がどのようにして真実へと辿り着き、そしてどのような結末を迎えるのか。
博識な彼女からすれば、ある程度の"模範解答"を想定・用意していたハズだが、
その見解の範疇を超えた選択は、パチュリー自身も 「行動」 という対価でもって示したワケだ。
普段動かないパチュリーがここまで動いたのは、
やはり 「知ること」 への向き合い方が史規から見て取れたからだと思える。
精霊魔法に長けており、
小悪魔召還までしている彼女からしてみれば 「制約の成約」 は魔法使いとしての誓約。
己を魔法使いとして自負しているからこそ、この点において反故しないのは流石といったところ。
知る必要のないこと、知らなくてもいいことをあえて知ること。
そして知った上でなかったことにせず、真摯に受け止めること。
「わからない」ことをわからないままにせず、
その実ここからくる「未知なるもの」への確かな恐怖。
この躊躇を記憶喪失という言葉に代えて彼の恐怖を和らげたのは、
結末に至る過程の歩みを無駄に止まらせたくない一心による。
当然、知ってしまったことで別の新たな恐怖が彼に芽生えるわけだが、
そこまで見据えていてパチュリーは導いたのだ。
面白キャラのようにみえて、この徹底ぶりはやはり魔女たる所業といえよう。
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基本、他人との干渉をしない彼女にとって唯一無二の知己。
それが紅魔館の主人であるレミリア・スカーレットだ。
互いに「レミィ」「パチェ」と呼び合うほどに仲が良く、
主従関係が主体である紅魔館の中では少々レアな関係だ。
パチュリーからすればレミリア以外は全員"他人"だが、
レミリアがいるからこそ周っているといっても過言ではない。
彼女らはいつから親交を深めたのか、どれほど交流が続いているのかはさだかではないが、
霊夢・魔理沙の関係値以上の深さが垣間見えるのは確かだ。
何気に年の差異種間交流である(魔法使い100歳と吸血鬼500歳)。
此度の異変の過程において、パチュリーはレミリアと対峙することとなる。
それは決して、敵対ということではなく少々派手な家族喧嘩みたいなもの。
日常においても彼女らが喧嘩することはおそらく滅多になく、
あったとしてもせいぜい他愛のない口喧嘩止まりだろう。
互いの力を出すスタイルで周辺の破壊や衝撃を気にせず立ち振る舞うのは、
それほど互いに譲れないものがあったということ。
レミリアは史規を想う咲夜のため、パチュリーはレミリア含めた紅魔館全員を想う史規のため。
この二人の喧嘩は史規を中心に勃発しており、ここでも三角関係のような立ち位置だ。
彼の真意を知ったのはこのタイミングにおいて唯一パチュリーだけである。
それを他の連中にも知らせるため、パチュリーは立ち振る舞ったにすぎない。
悉く 「知ること・知らせること」 に徹底している役回りは素晴らしい。
喧嘩も終わり、レミリアともども、心身にちょっとした疲弊を伴いながらも、
対価としてレミリアからも本当のことを知る機会を得た。
干渉をしないパチュリーにとって、普段なら「知らなくてもいいこと」で終えた事柄も、
このときはじめて「知るため」に直接レミリアに物申したわけだ。
同時に、史規の残した便箋を通じて「知らせなくてもいいこと」を、
あえてしっかりと「知らせる」ように自然に動いたのは魔法使いという性分よりも、
パチュリー・ノーレッジという一人の少女が垣間見せたちょっとした心境の変化が優先されたからであろう。
雅な時間 Again Vol.2_d0284766_00172724.jpg



グッド・バッド・ウィアード
良い奴・悪い奴・変な奴。
レトスペにおける三魔女の"バランス"具合といったらまさにこれだ。
このタイトルは西部劇映画の名作「続・夕陽のガンマン」にインスパイアされた韓国映画に由来。
映画では三すくみによる攻防劇が終始行われるものだが、
レトスペにおいて三魔女は実はそれぞれ見事に邂逅していない。
アリスは第一部で悪役(バッド)を演じ、他二人の出番が来るより前にそのまま退場。
魔理沙は第二の主人公ポジ(グッド)として第二部より介入。
しかし図書館での遭遇であったのに、その後クライマックスまで奇跡的に他二人と邂逅していない。
パチュリーは最も強大な魔法使い(ウィザード)でありながら最も面白ポジション(ウィアード)にいた。
この絶妙なすれ違いこそ三魔女を語るにおいて非常に面白い余地を残してくれている。
三人とも魔法使いとしてのクラスも、人生観も、得意魔法も何もかも違うのに、
それぞれが史規という魂を通じて、彼女らだけの物語を築き、
しっかりと 「彼女らは魔法使いである」 という証明を改めてしてくれているのだ。
振り返ってみると 三魔女が交わらなかったから史規はトゥルールートに行けた とも捉えることができる。
もしかしたら共闘・あるいは敵対するルートだってあったはずなのに。
いや、もし起きていたら本編44話で終わらなったまである(笑)
これは隠れたもうひとりの魔法使い候補フランドール・スカーレットにもいえることで、
それだけに 「魔法使い」 というのは存外扱いが難しいという暗喩でもある。
本来、自分の好きキャラが集うことというのは二次創作においてご褒美なものだ。
だからといって三人一緒に並ぶことがなかったのにも関わらず、
彼女ら三人の魅力がそれ以上に輝いていたのは、
壮大な一本道の中でそれぞれが単体で描かれたこと。しかも絶妙に脇役としてだ(あくまで主人公が霊夢)。
脇役とはいえ、全員が最終的に主役級の「グッド」の肩書を手にしているのが最高のカタルシスになっているし、
その「グッド」の在り方がまたも三者三様だからだ。
魔女と呼ばれる存在に「三」という数字は本来、忌み嫌われるものであった。
だが、その一方で「3」という数字は「成功、繁栄、誕生、幸運、完成」などの意味を持ち、
じつに縁起のいい「大吉数」でもある。
レトスペにおける三魔女の在り方は、数字本来の強さでもって、
魔女を「魅力的な女性たち」へと開花させてくれたのだ。

# by makky_cys | 2022-12-14 06:50 | レトスペ雅

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