ブログトップ

Makkyのあしたっていまさ!

cysmakky.exblog.jp

てきとーにまったり。主にSTGや東方を中心としたゲーム系雑記だよ。

雅な時間 紅 Vol.11 (第21話「真実」) 後半

-雅と私、レトロスペクティブな時間- 第21回 後半

Makkyです。引き続き、21話分の後半となります。
初見の方、詳細を知りたい方はコチラへどうぞ → http://cysmakky.exblog.jp/17382733

d0284766_11345032.jpg


レトロスペクティブ東方-雅-
 第21話「真実」

http://www.nicovideo.jp/watch/sm21018376


※動画のネタバレを多大に含みます。
下記をお読みになる前に是非動画をご鑑賞ください。
1部はこちらよりどうぞ。


本編における全体のネタバレ回でもあります。
1~20話までを予め視聴しておくことを推奨します。


また、今回は前半・後半に分けてあります。
この記事は後半にあたります。
前半から先にご覧ください。




雅な考察
ついに真実が明かされ、極めて重要な回となった。1話からの伏線がそれぞれ全く別の視点で浮き彫りにされてきたことに、ただただ驚くばかり。いくつか絞って考察していく。


「帰る」と「還る」
今回最大のターニングポイント。これまで「帰る」とされてきたものが、実は「還る」という意味だった。前の外来人の手記のとおり、史規を彼と同じ「前例と照らし合わせ」であれば、史規もまた前の外来人と同じ、魂の思念体ということになる。しかしながら、まだ史規自身で「自分の証明」は立証されていなく、いまだ状況証拠であることは揺るぎない。今後の史規にとっての機転はそこに隠れているのかもしれないが、はたして。
さて、「帰る」が「還る」になったことで、これまでの考察にあった「帰す(還す)側」、「帰さない(還さない)側」の立場がまるで逆転してしまうことに着目していこう。元々、史規を「(元の世界へ)帰す」立場だったキャラクターが、「(輪廻へと)還す」となり、即ち史規の消滅(生誕)へ導く立場となる。一方、「還さない側」はあくまでも幻想郷の住人として迎え入れ、史規を今の姿そのままで生かすということになる。これではもはや善悪の区別はなく、それぞれにおいてが映姫のいう「善行」に繋がってくるかのように感じられる。
では、なぜ「異変」なのか。確かに史規の存在そのものが「発現」したこと自体を異変と捉えることもできるが、幻想郷の彼女達はその事をすでに察していた節がある。であれば無理に「還す側」と「還さない側」に別れる必要もないように思えるが、これまで全ての行動が史規をここまで「辿らせる」ための仕込みであったとすれば?「異変」の根源はまだ見ぬこの先にあると考えられる。紫や、魔理沙の発言からもあったように「異変になりつつある」というのがまさしくそれで、その段階に至っていないという解釈に辿りつく。
d0284766_19341391.jpg


霊と魂の違いとは
似ているようで厳密には少し違う。それぞれを明確にしていく。


すぐれて神妙なもの。また、そこに何かいると感じられるが、実体としては捉えられない現象や存在のことを指す。


精神をつかさどる精気を指し、肉体をつかさどる「魄(はく)」と対比される。両方合わせて「魂魄(こんぱく)」。

霊魂
人間や生物について、その肉体以外の部分の、人格的・非肉体的な存在を言い表す表現であり、「心」などと同一視される。霊魂という表現は「霊」と「魂」という言葉の組み合わせであり、両方を合わせて1つのものとして考える。一般には、個人の肉体および精神活動をつかさどる人格的な実在で、感覚による認識を超えた永遠の存在を意味する。

輪廻の思想
古代インドでは、霊魂は何度もこの世に生まれ変わるという考え方が一般的で、輪廻転生(転生輪廻)のことを指す。「あの世」(冥界or霊界)へ行ったり、「この世」(生者の世界、現世)に影響を及ぼしたりすると考える思想。

d0284766_3581899.jpg

以上のことから、前の外来人の存在は「霊魂」に近しいものであると察することができる。同時に史規も同じ存在であれば、まだ本編に登場していない妖夢と属性的にはほぼ同じであるということが予想される。OPでの妖夢のセリフにあった「寄り辺無きもの」はすでに史規自身がパチュリーに対して発言していたことも今後の伏線になりえるか。
d0284766_358123.jpg



死の概念
一概に人の死というのは、その個人の肉体(例外として脳死もある)が滅したことを指すが、その人が死んだあとは上記の思想に基づき、霊として次の輪廻までを彷徨うとされる(若しくは成仏)。本当の意味での『人が死ぬ』というのは、全ての人に存在を忘れ去られたときと考えることもあり、これは妖怪に対する生死に近い(妖怪は科学的に超常現象を完全証明されるか、その存在を完全に忘れさられる=書記などの記録にすら残らないことで「死滅」する)。幻想郷は元々、現世にて「忘れ去られたもの(人、物のほかに文化など)」を受け入れる場所だとされている。今回は現世からやってきた(現世で死んだ)存在なわけでなく、輪廻の途上で発現した存在であることまでが説明された。そんな存在が今度は幻想郷の住人に記憶されている以上、それは紛れも無く生きた証であり、その証明として例の上着や、手記が「活きて」くる。


残機制
STGにおけるシステムのひとつ。ミスすることで自機の数は減って行き、ゼロの状態でミスすると所謂ゲームオーバーである。本作では「ボム」という概念を作中に活かしたことから、この残機の概念も取り込んでいるのではないか? という予想。前の外来人が、そのまま史規本人であった場合に限るが「何度も繰り返された」というのは、STGを何度も繰り返し遊ぶのと同じニュアンスに近いということだ。STGではしばしば「死んで覚える」という風潮があり、初見では無理でも何度も繰り返すことでその先へ辿りつく光明が見える。これをそのまま作中での輪廻転生の思想とを照らし合わせ、作者なりにオマージュしたと考えることはできないだろうか。


別の視点
最後の手記を読む前、史規は前の自分と同じでいられるかと自問自答する。以前、史規の体験はそのまま我々との疑似体験を演出していると作者から語られていたが、今回のネタバレ回を見たあとと見る前とでは、これまでの1~20話の見方や印象がガラっと変わることは確実で、そうした意味合いを込めてのメッセージだったのではないだろうか。
d0284766_3595946.jpg



パチュリーの宣告
「忘れることができる」。前回、パチュリーが残したセリフは史規に対する最後の手記を読む前のせめてものアドバイスとして、そんな言葉を発した。真実を見る限り、幻想抜けのその果てにある「消滅」を予期していたかと考えられるが、その逆を考えてみると、「手記を読んで得た情報そのもの」を史規自身が忘れてしまうことができれば。この事実に苦しむことはなく、リセットして先へ進めるのではないか? ここに小さな希望があると睨む。
d0284766_3593259.jpg



今回の話を受けて、これまでの1~20話の考察記事はそのままに、「雅な時間 裏」と称して「真実の情報を踏まえた上」での再考察記事を新たにまとめていく予定。謂わば2週目といったニュアンスです。すでに過去の記事を読んでくれた方々にも新鮮な気持ちで読めるようにしていくので、ネタバレが大丈夫な人(とはいってもウチ散々ネタバレばっかだけどw)も改めて楽しんでいってもらえれば幸いです。更新ペースは随時となるので、こちらは不定期となりますが、本編側の「雅な時間 紅」は変わらず週一更新を心がけます。


次回、第22話「雲海」
真実の先に物語はどう動き出すのであろうか。




[PR]
by makky_cys | 2013-06-07 04:03 | レトスペ雅 | Comments(0)