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Makkyのあしたっていまさ!

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てきとーにまったり。主にSTGや東方を中心としたゲーム系雑記だよ。

偏執狂短編集Ⅲをミタ!

こんばんは、アイハラマキです。

去る、6月6日(火)に新宿サンモールスタジオにて、
Voyantroupe(ヴァイヤントループ)さん主催の舞台、
Paranoia Papsers -偏執狂短編集Ⅲ-の千秋楽を鑑賞しに足を運んだ。

偏執狂(Paranoia)とは、妄想体系が潜行的に発展する状態。
そのほかの精神症状は伴わなず、日常生活においてなんら支障のない志向、秩序を保つが、
いったん妄想が始ると、あらゆる気性が超極端に開花される傾向にあるモノ。

本公演では、実在した人物-
-ジャンヌ・ダルク
-エリザベート・バートリ
-ヨーゼフ・メンゲレ
-イルマ・グレーゼ
-ウエスト夫妻
-ジル・ド・レ
それぞれにスポットを当て、1部につき3つの物語(2部構成=6つの異なる物語)をもって展開。
彼(彼女)らの偏執狂の一面をこれでもかとばかりに魅せ付ける。
『正常の限界へ』挑戦した、おぞましくも美しい世界を感想と共に紹介しよう。










偏執狂を主題としているが、全ての物語に一貫して描かれた裏テーマは「愛」。
愛に餓え、愛に溺れ、それぞれが求め、あるいは授けた愛が「I」という固として昇華されていく。
それを私たち観客が「EYE」をもって見届けることで、
この物語は全て「哀」となって記憶に残っていくことだろう。



メンゲレとグレーゼで
ヨーゼフ・メンゲレとイルマ・グレーゼの「日常」。
ドイツ・アウシュヴィッツにて行われていたおそるべき人体実験と、美しき女性看守を描く。
メンゲレそのものの狂気というよりも、彼を取り巻く周りの人間の狂気が歪であり、
その異常さに徐々に蝕まれていく様子が、収容所という施設の空気感と相乗効果を生み出し、ただひたすら暗く冷たい。
低温実験と、双子結合実験を取り上げ、舞台上で丸ごと「見せた」のは強烈なインパクトを生み出す。
グレーゼの歪んだ感情は、もはや人間のそれではなく機械のようなもので、表情から言動まで、
人であって人ではない異常さを醸し出す。
サディスティックな一面と、容姿から来る美貌さも相成って、その存在感はメンゲレを食うほど。
それゆえに、どこか孤独であった彼女は誰かに愛されるということを誰よりも強く受け止め、極端に感動する。
一方、メンゲレは愛国心を唱えつつも、自分のやっていることに疑問を感じる一面を見せるも今一歩踏み出せない。
閉鎖的な性格は周りからの期待、人種への愛に挟まれて彼の本質は言い訳で塗り固められていく。
本来の自己を主張せず、逃亡をはかったのもそれらはすべて自己愛によるもの。
自分が無難でありたいと願う心から、実際にやっていることは全て「仕方ない」と嘘で言い聞かせていたのだ。
渾名である「死の天使」と呼ばれた皮肉は、結合された双子のビジュアルをもって表現。
苦痛のまま生き続けさせるよりも、楽に死なせたほうがまだいいという愛情から来る殺害もここで描かれた。
童話「ヘンゲルとグレーテル」とを捩らせたタイトルが秀逸で、双子の喪失=口減らしによる子捨てにもかかっている。
個人的にはメンゲレ以上にマッドサイエンティストを演じたラーツ役の邑上さんの怪演がとても印象的。
めちゃくちゃ好きな声と喋り方してくれて、大満足です!



ウェストご夫妻の偏り尽くした愛情
西礼司と西薔薇絵のとある「日常」。
イギリスのシリアルキラー(連続殺人鬼)-フレデリック・ウェストとローズ・ウェストを題材にし、
現代日本という舞台設定と独自解釈にて大胆にアレンジ。
登場人物が全員東西南北という方角を表しているのがオシャレ。
最も明るく、コメディめいた仕上がりでありながら登場人物は夫妻以外全員殺される結末を迎える。
引っ越してきた仲の良い夫妻を歓迎するという、
どこにでもあるような日常シーンを異常なものへと変貌を遂げていく様子を巧みに描く。
愛し、愛されたいと夫妻が想うがあまり、それは嫉妬となって世間へと刃が向けられていく。
誰かが言った。「でも(彼らが)幸せなら、OKです!」。
時としてそれすらも過ちであるのだと、どこか皮肉めいたメッセージ性を捉えることができた。
人が次々と殺されているのに我々観客は「笑う」。
終始一貫して、コメディ路線なのが逆に怖く、6つの物語の中で実は最も狂気を感じた作品。



ジャンヌダルク異端審問裁判
ジャンヌ・ダルクの囚われてから処刑されるまでの「日常」。
聖女として崇められた英雄としての彼女ではなく、ただ堕ちていく様を痛ましいまでに魅せ付ける。
歴史的裏づけ、魔女狩りとも呼ばれる異端審問の実態、差別とは何か、国とは何か、民衆とは何か。
その全てを独自解釈によって、まるで「そうだったかもしれない」という説得力で真正面からぶつけてきた。
ただ、あくまでもフィクションであるがゆえに真相は「神のみぞ知る」。
クライマックスで炎に包まれ屠られていくジャンヌの悲痛な叫びや訴えは、
今現代でも起きている男女間での痴漢冤罪や、政治における発言力の皮肉として受け取れるし、
その壮絶な最期が本公演のメインビジュアルに繋がるという趣向がまた面白い。
国のため愛を捧げ、齢19にしてその生を全うした彼女にとって足りなかったもの。
それが政治とは何かという知識であったという現実を見せ付けられた彼女の悲壮さに繋がってくる。
無垢ゆえに無知。無知ゆえに鞭以上のモノで打たれ、無恥であることをはじめて恥じる。
女として生まれてきたことの誉れ以上に感じることになる妬みは、ついぞ呪いとなって還元する。
一方、彼女に感化され、誰よりも慕ったジルドレは、最もシンプルに男女だからこそ生じた愛に苛まれた一人。
人間、むしろ生物における本質を彼という鎖で表現していた。
冷静に見てみると、実は悪人という悪人はおらず、全員が正義を貫いていただけに過ぎなかったというのもポイント。
断片だけみてしまうと、もう片方は悪として映ってしまうだろうが、
ジャンヌだけでなく、フランスとイングランド、カトリック教団などそれぞれの視点を描くことで、
それはぶつけようのない憤りへと変貌。
この投げつけたくなる衝動を観劇後の拍手でもってカタルシスへと還る作りは見事としかいえない。
6つの物語の中で、最も「ここまでやるか」と圧倒的パワーを感じた作品。
これを観て感情を揺さぶられないってのは、まずありえないだろう。
それもこれも、ジャンヌ役の大森さんの「完璧」すぎる演技と、
執拗に審問を続けたボーベル役の平良さんの「完全」すぎる計略の二つを持って織り成す完成度から来る。
舞台の中では絶対的な敵対関係のお二人だったからこそ、この信頼関係ははかりしれない。



ジルドレと黒魔術
ジャンヌ亡き後のジル・ド・レとその一家で起きた「日常」。
彼が何故、「青髭」と後世で呼ばれるようになったのか、その発端から末端を描く。
ジャンヌダルク異端審問裁判のジルドレとまた違う役者を用意することで、
まだ人間としての良心のあった彼と、壊れてしまったあとの彼の差別化を表現。
ジャンヌを失ったことで、ジャンヌへの愛は歪んだものへと変貌していった。
それは、劇を開いてジャンヌ役として最も近い「少年」をかけあつめ、
本物のジャンヌたる存在へと、その少年を「導く」ものであった。
錬金術にハマってしまっていた彼は、もはや取り返しのつかないところまできていたのだ。
とある日、そんな彼のもとへフランソワ・プレラティという美少年が訪れる。
自らを「ジャンヌダルクの生まれ変わり」だと唱える彼への適用試験の先に待っていたものとは。
ジルドレの狂気っぷりも当然ながら、この物語では娘であるマリーにむしろスポットを当てたい。
黒魔術へとけしかけたプレラティは悪魔そのものとして描かれていたが、人間であるマリーが最も恐ろしい。
猟奇的な殺人を繰り返す父の前でさえ健気に立ち振る舞うマリーの根っこはただひたすら、
父に自分のことを愛して欲しいがゆえの懇願からきている。その行動力は、ときに戦慄さを覚える。
天使のような笑顔で、平然とえげつないことをするギャップは果たしてマリーという役だったのか、
それとも演者の本質からくるものだったのか。もちろんそれは例えだが、
それほどまでに「なりきっていた」はるかぜちゃんの威風堂々としたマリーは素晴らしいの一言。
同じくして、マリーへ「最後の鍵になってくれるか」という問いに対して彼女が快諾した際の、
プレラティ役の紅日さんの満悦した悪顔。あの目力は完全に焼きつきましたね。



快楽刑
とあるマフィア間で執り行われていたとされる都市伝説からの「日常」。
規則を破ったファミリーへのケジメとして制裁に扱われる快楽処刑は、
密室された部屋の中で男女共に束縛し、大麻を大量に焚いた煙を長時間吸わせるのだ。
これにより理性を失った女は、男に貪りつきそのまま死を迎えるという。
仮に生還できたとしても、人間としてマトモな生活には決して戻れない後遺症を残す処刑法。
マフィアという世界の中で生じる男女間の愛、家族(ファミリー)間の愛。
それゆえに凄絶に葛藤する生と死への狭間。生かすことが正解か、死なせてやることが正解か。
答えのない状況に立ってはじめて理解する、絆というもうひとつの愛。
オリジナル作品といえるが、6つの物語の中で最も「愛」をストレートに描いた作品。
シナリオ部分こそシンプルながら、性描写自体は最も過激といえるので目のやり場に結構困った(笑)
舞台後、ボス役の方が脚本・演出を手掛けた宇野さんだと教えて貰い、そのキャラクター性に脱帽。
また機会があれば直接ご挨拶したい所存です。



バートリ・エルジェーベト リバイバル
エリザベート・バートリーの「日常」。
「血の伯爵夫人」という異名を持ち、錬金術と悪魔宗教に傾倒する。
”処女の血を浴びると永遠の若さと美しさを得る” という妄言からおびただしい数の少女を監禁し、
残虐な方法で血を搾り取って殺害した。史上名高い悪女として知られたことからカーミラ伝説のモデルともいわれる。
そんなバートリーの美しさへの執拗な探究心から来る、根源を描く。
作中では、小道具として「アイアンメイデン(鉄の処女)」を登場させ、
その中から全身血まみれの少女の全裸死体がニュルっと出てくるシーンは圧巻の一言。
ジャンヌダルク異端審問裁判同様、限界を魅せてくれた作品。
バートリーの美しくも妖艶なシルエットもまた「完璧」であったといえる。
個人的に一人称が「妾(わらわ)」の女性がめちゃくちゃ好きで、
そのイメージ像を川添さんが見事にやってくれました…!
物語最大の見せ場である、幽閉場所で胸のうちを語る迫真の告白は、
もはやセリフでなく奏でられた音として胸に響き渡ったほど。
彼女の生涯を終えようとした矢先、その命の灯火も閉鎖された中に射し込める光と同じほどとなったとき、
バートリーの脳裏に映っていたのは、愛した夫の「保て」という言葉。
ただひたすら「美しさのみ」に殉じた彼女の最期はとても朗らかで美しい微笑みとともに幕を閉じた。
だからこそ声を大きく出して私も唱えたい。
「礼賛する!」と。



ここの舞台と出会ったのは派生チーム作品の「Oz♀4♂3(オズの魔法使い)」から。
久しぶりの舞台鑑賞というのもあり、全く異なる2部ぶっ通しの5時間半以上にも及ぶ構成に、
少々気負い気味ではあったが、終わってみれば実に爽快な体験であったと豪語できる。
全てのキャラクター、すべての物語が違うベクトルで心に残り、ひとつの真実を垣間見れたようです。


皆様、本当に素晴らしい舞台をありがとうございました。
お疲れ様でした!!




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by makky_cys | 2017-06-07 23:06 | 雑記