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Makkyのあしたっていまさ!

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てきとーにまったり。主にSTGや東方を中心としたゲーム系雑記だよ。

雅な時間 白 Vol.14 (第40話「不屈」)

-雅と私、レトロスペクティブな時間- 第41回

Makkyです。
皆さん、良いお年を。


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レトロスペクティブ東方-雅-
第40話「不屈」




※動画のネタバレを多分に含みます。
下記をお読みになる前に是非動画をご鑑賞ください。
PCブラウザ、またはスマホ横画面での閲覧を推奨しています。




第1部(人形師編)を見直したい方はコチラから↓



第2部(紅魔館編)を見直したい方はコチラから↓









前回までのあらすじ
誰の為に戦うのか。
幻想郷全域異変を前にして、各々が抱える行動理念。
全てが交錯した先に果たして異変解決の糸口は見つかるのか?!
妖怪の賢者・八雲紫の迫る中、霊夢達も冥界組の待つ最終地点へと舞い降りた。
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今回のあらすじ
本編動画をどうぞ。

あえてあらすじはここで記述しません。
以下はネタバレ満載なので動画で確かめてくださいね!





はい、皆さんこんばんわ。
今夜の「レトロスペクティブ東方-雅-」は『不屈』。
深いですよぉ。
不屈って、なんでしょうね。
よく「不屈の精神」って言いますよね。
「苦難に負けず、意志を貫き通すこと」…ですね。
貫くこと。それは、ご覧になった方にはジワジワジワジワ理解って参ります。
で、これクライマックスシーズンです。
クライマックス。物語は最も極みに達していくんですね。
そのはじまりですから。これから本当に目が離せないですよ。
目的のために最終地点にやってきた主人公一行に、
それは美しくも恐ろしい、強大な敵がやってきます。
「幻想の淵」からこわいこわい、神隠しの主犯が迫ってやってくるんですね。
それを迎え撃つのは一緒に行動を共にしてきた星の魔法使い。
助けてやろう、この主人公を助けてやろうって。
対決に持ちかけるんですね。さぁ、面白いですよ、この幻想入り(ファンタジー)。
そしてこの作品の一番怖い女、神隠しの主犯が……八雲紫。
八雲紫なんですねぇ。妖怪の賢者がまたも悪役になるんですね。
そして、それから助けようとする良い方の少女。
それを霧雨魔理沙が演じるんですね。
この作品はですね、不思議な不思議な世界で。
妖怪という不思議な不思議な怖さが皆さんをビックリさせると思うんですね。
そして、この主人公と共にある巫女を博麗霊夢。
博麗霊夢が演じるんですねぇ。妖怪にとってこわいこわい役ですね。
っというわけで、この作品の監督ですね。
この作品の監督がtokati0755。
tokati……トカニキ……がこの作品の監督。
tokatinago。この人は、あの「京都龍の寺殺人事件」。
今、盛んに話題となっているキャサリンの登場するゲームをですねプレイしてるんです。
あのキャサリンをクリアした監督さんなんですね。
いかにも面白いですよ。こわいけど面白いですよ。
じっくりご覧ください(⌒∇⌒)
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はい、いかがでしたか。
八雲紫、あの妖怪が不思議なこわい役をやって。
自分でそういう役を選んでますね。
美しくも残酷なこわさですね。
そういうところに八雲紫の、何か目論見といったらおかしいですけど、
希望がありますね。この妖怪は演技派。
本当に容姿がただ美しくて立派な頭脳だけではただ動きたくないんですね。
だから、時として味方であったり、色んなことやって自分を愉しもうとしてますね。
そのあたりに八雲紫のこの演技、演技の規模、それが観ていて気持ち良いですね。
そういえばこの作品、監督がtokati0755ですね。
tokati0755がこの作品を監督してる。
この人、「レトロスペクティブ東方」の無印からやってる監督ですね。
よくぞこの人これ全部一人でやらしたいうくらいの大役でしたねぇ。
で、この作品の監督は数々の映画作品を体験してビックリしたんですって。
『映画ってこんなにいいのか、こんな凄いのか』と思いました。
それで映画に夢中なって夢中なって、
とうとう擬似映画作品を作った映画界に夢中の人ですね。映画ファンですね。
その人が韓国映画「殺人の追憶」、あのボン・ジュノのこわーい映画。
面白かった。あれが非常に刺激になって。
だんだんモチベがあがって、もう今日の大作を監督する人になりましたねぇ。
いかにも今日のレトスペも面白かったですねぇ(⌒∇⌒)





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一度やってみたかったんですよ(唐突)
っというわけで、今回から名のとおりの「クライマックスシーズン(CS)」へと突入。
その一発目にあたる『不屈』でした。
タイトルの始まり方から、全体の雰囲気がなんだか違いますね…!
いってしまえばここからが第三部(白玉楼編)のボス戦ってやつです。
第一部(人形師編)のアリス、第二部(紅魔館編)のレミリアと違って、
ここでのボス戦はだいぶ趣向が違う様相。
霊夢(A)パートと、魔理沙(B)パートそれぞれに用意されたボス戦ってスタイルで、
別々に、それでありながら同時進行されていくんです。ザッピングシステムってやつですね!
この手法は紅魔館編でも扱われたけど、ボス戦の最中でははじめて。
加えて、ボス戦そのものがタイトルの「不屈」に直結していきます。
互角、もしくはちょい格上ゆえに均衡した過去ボスとは全く度合いの違うレベルで、
今回のボス戦での対峙する相手との戦力差は如実に露骨。
3:7、2:8……いや1:9というほど絶望的な組み合わせが生じたらどうなるのか。
そういう挑戦めいたものもあえて叩きつけてきたんだと思う。
弱者からする強者に対する畏れ。強者からする弱者に対する怖れ。
このパワーバランスがすげぇ見所なんで、波乱を生むんですよ。

「霊夢vs妖夢」ではアリス、レミリアに比べると力量差がだいぶありそうな妖夢という構図。
下手すりゃ射命丸より劣りそうだけども、それゆえに妖夢にとって霊夢こそがボス敵存在となる捉え方。
明らかに差のある霊夢に対して、過去ボス戦に劣るとも負けない力量を見せなければならない妖夢側の「不屈」さ。
迷いを切捨て、主人のため、そして自分の在り方を見出すために戦う。
己が半人半霊という境遇から、史規の魂とどこか似た価値観に共鳴したのだろうか。
幽々子が黒幕でありながら、彼女がボスとしては立ち振る舞いを行わないというギャップも面白い。
予告では妖夢との対峙が先行披露されていたので、
対決することは予めわかっていたけども、まさか妖夢こそがボスだったとは。
お互い負けられないのは当然ながら、「半人前」とはとても思えない妖夢の "鬼迫" に大注目です。
とはいえ、ゲーム内でも5ボスとは思えない強さ持ってるんですよね妖夢

「魔理沙vs紫」では圧倒的に紫有利。まともに戦ったらまず勝てない負け確定イベントボス。
そんな負け確定イベントさえも覆していかなければならない。
それくらいの無理難題に魔理沙が挑む。
この力量差をどう縮めるか?どう抗うか?という観点を保ちつつ、
本来なら霊夢が戦ってこそという相手に立ち向かう。だからこそ魔理沙は霊夢にどこまで近づけるのか
自分の為であると同時に、霊夢のため、それは幻想郷のために繋がるのなら諦めない。
バトンタッチした自らの志に嘘はつかない、そういう「不屈」さ。
そして、そんな小さくも大きな意志を捉えたからこそ紫は魔理沙に真摯に付き合う。
もし魔理沙に、それがなければ紫はシカトして霊夢を追っていただろう。
紫を留めさせたということは、止めてはいるが事実紫を動かすに値する領域に達した証なのだ。
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そして、それは史規にもいえる。
「前の史規」という自分であって自分でない魂との対峙に彼もまた奮闘しなければならない。
ここまで来たのだから。否、ここまで来れたからこそいよいよもって霊夢のために折れるわけにはいかない
約束を守らなければならないから。もう守るというレベルではなく護る領域に達していた。
対する相手にだけでなく、この「不屈な精神」は三者三様どちらも共通して霊夢に還るのだ。
ここにきて主人公に集約・収束する言葉の意味。
それが前回のアリス、そして今回のレミリアという過去ボスにまで精神に呼応する。
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彼女らの救援は偶然?いいえ、必然です。
勝負は時の運といえる。そして運で勝てるほど甘くないのも当然。
しかしながら勝利するためには運を呼び込むことも必要。
クライマックスシーズンというのは、こうした物語の最高到達点という意味だけでなく、
勝負の場面における肝心なこととはなにか。何を成せば到達できるのか。
いつか誰の人生でも絶対に起こりえる勝負所に対してどこまで不屈となれるのか。
そういう、メッセージ性を受け取らずにはいられない。
目的を成すために必要なのは、誰かのために為すこと。それはつまり生すことを意味する。
監督自身の作品に対する「不屈な精神」も全て注入される。
「作品で語る」とtokatiさんは何度も仰っていたけど、今回もまたその語りちゃんと轟きましたよ!!





静なる動
これまでのボス戦と一味違うのはここにもある。
これまでの戦闘シーンはとことん「動」に徹底した演出が見所で、
実際レトスペの十八番ともいえるのだが、今回の戦闘シーンはどちらかというと「静」だ。
静けさの中に含まれるうねりというか鼓動というか、大海の中で身をゆだねるような感じ。
確実に流動してるんだけど、刹那的といいましょうか。
実際はめっちゃ早く動いてるんでしょうけど、実はまだ1分も経過してないというか。
ここまでわずか1秒とか、あーいうやつ。
スローモーションとか巧みに使っていて、画的にそう映るってのもあるんですが、
彼女らの領域がきっとそんな感じなんでしょうね。
もう何者にも干渉はさせないっていう。
無の境地ですよ。
こういう開幕を演出してくれるから、息を飲むんです。
どうなるんだろ、この二人の"夢"が向かう行く末は?って。
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鍔迫り合いを行う妖夢の視線が途中で見切れて、角度が変わっていくシーンまーーーじ好き。
アリス戦最期のお互いの表情とかもそうだったけど、
レトスペ内でのキャラの「視線」は素晴らしいの一言です。
普段は可愛い彼女らも、こういう決めるときに決める意志の強さ、心の強かさ。
自分も格ゲーマーなんで、この辺すげぇ理解るんですよね。
ゲームしてるときはにこやかだけど、いざ対戦がはじまると急にマジメな顔になるってーか。
別に不機嫌だとか怒ってるわけじゃないんだけど(笑)めっちゃ怖い顔になるんですよ。
目で殺す。殺意の顔つき。
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それは真剣だからこそ。
遊びとはいえ、舐めてはいけない。相手に失礼だから。
この目つきが変わる瞬間ってのがゲームしててすっげぇ好きで。
これまでは「弾幕ごっこ」だった彼女らにとっても、
おそらく到達したことのない真に「異変解決の場」じゃないですか。
こんな場面に立たされたら、無意識でも自然とこうなるよなーって。
説得力あるんですよね。「わからせる」ってやつ(笑)
仲が悪いからとか、喧嘩してるからじゃなくて。ただ互いに譲れないものがあるから。
日常で仲が良いからこそ妥協しない。甘やかさない。
※「静なる動」のネタがわかった人はあとで私のオフィスに来るように



哀・ネクロファンタジア
八雲紫(真)のテーマ。
「Reencounter」、リ エンカウンター=再び合間見える。
紅魔館地下図書館で、白玉楼庭先で。
これまでに一度、二度と魔理沙を妨害してきた紫がついに三度目の正直で正面を向いてくれた。
そういう曲。勿論、元々「レトロスペクティブ東方」のためにある曲ではないが、
このシーンではこれ以上ないといえる最高級のネクロファンタジアアレンジだと私は思う。
ボス戦闘前のデモ曲に起用された激しいDemetoriさんのメタルイントロ版ネクロファンタジアこそが、
本来のボス曲にしてもいいくらいなのに、実際は逆という素晴らしいギャップ。
この演出が心底たまらなく響いた。ボス戦でこんなに物悲しい曲を持ってくるのかと。
こんなん絶対普通ならやらないです。やれないです。一体どんなセンスしてんだよと。
ここも先ほどの「静なる動」に直結します。
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苦戦必死の魔理沙のキツそうな表情もそうだけど、それ以上に余裕綽々の紫こそ「哀しい」。
それは、幻想郷を背負ってる身だから。
幽々子・霊夢といった友をここまでさせてしまったから。
そんな友のために、霊夢の友人のこの子(魔理沙)はこんなにも挑んできてくれる。
力を持った妖怪でなく、ちっぽけな人間が。
幻想郷のために向かってきてくれる。
それがたまらなく嬉しい。嬉しいからこそ哀しい。
口でこそ魔理沙をずっと挑発して揺さぶるのも、その想いを違う形でぶつけて欲しいから。
「妖怪の賢者」という身分はそれだけ大きい。
「博麗の巫女」という身分で悩みぬいた人間の霊夢と違って、自分は唯一無二の妖怪。
責務のために、ただひたすら幻想の淵として魔理沙に向き合わせなければならない。
本当は八雲紫という個として、自分もまた向き合いたいのに。
でも、それは絶対にしない。したいという欲や悩みを持ってはいけない。
そういう霊夢ですらできなかった冷酷非情ともいえる徹底さ。
その徹底さが彼女の怖さであり、強さであり、苛烈さであり、優しさ。そして暖かみがあるのだ。
幻想郷というシステムの中で「博麗の巫女」と対にある彼女の防壁は決して破られてはいけないから。
何故なら "私の代わりはいないのだから" 
そんな彼女のスキマが見せた深層を、この曲は伝えてくれる。
声にならない彼女の意志を音に変えて。
だから私は、自信を持って断言できる。
この曲こそ「レトロスペクティブ東方-雅-」における八雲紫の真のテーマであると。
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愛・ネクロファンタジア。
女性のコーラスが儚げで哀しい。実に悲壮的なイメージを想起させる。
これが紫が表に出したい本当の声のように聴こえるんですよ。憂いめいた叫び。
そんな紫を向き合わせたのが、霊夢でも幽々子でもない、魔理沙だってのが最高にクるよね……。
魔理沙が紫の声を聞く役をかってでてくれた。
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魔理沙へのセリフも、まるで自分自身に言い聞かせてるようじゃないですか。
本当は貴女こそが、そうしたいのでしょう…?!
かつて親友を亡くしたことがあるからこそ……
同時に魔理沙もまた、真に主役としてクライマックスシーズンにてようやく降り立つ。
そして、彼女の"恋"はついにこの先で"実る"。本当にようやく…。
キャラ愛勢として、いやキャラ愛勢だからこそ。ここまで感謝したいシーンはないです。
あまりにも曲への感情移入が高まって、この曲聴くと涙ぐんで鼻かむようになりました。ガチ名曲。
曲を聴くんじゃぁない、彼女の声を聞け!



西行妖
さいぎょうあやかし。
春になっても花は咲かず、咲いたとしても満開にはならない妖怪桜。
その樹の下には西行寺幽々子の死体(現在の幽々子は亡霊)が眠っている。
幽々子と西行妖との接点は作中では深く掘り下げられていないが、
説明するとやたら長くなるので、ここでは一旦スルーする。
しかしながら、紫と幽々子との関係性をより深く知るためには絶対不可欠な要素のひとつ。
本編全ての「雅な時間」が終わったあとに、各キャラクター別スポットを行うので、
そちらでフォローしていきたい。
そのときまでしばらくお待ちください。
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反魂蝶
はんごんちょう。
幽々子の周りをフヨフヨ漂う蝶の力を持って死者を蘇らせる能力。
日本では古来より、「死者は蝶に化身し帰還する」と考えられていた。
不吉の象徴とされる一方で、優雅な飛び方、不思議な羽の色などは愛好家には魅了的な存在として映る。
マジマジと近くで見ると、その様態は、皆が忌み嫌う「蛾」とさして変わらず気持ち悪い。
平安時代では「死者の魂がこの世に甦った姿」とされ、弔いの詠にはしばしば蝶が使われたほど。
「死」という概念を"肉体が滅び、魂が抜けた状態のことを指したとき"に多用される。
よく、「臨死体験」といわれる死に限りなく近い体験を生きているうちに行うのは、
今在る肉体から魂だけが何らかの事情で抜け出し、
その魂に宿る自己によって客観的に肉体を視るからであるとされるから。
「死者が蘇った」と史実上でも記録されているのも、
この魂が依代である肉体に舞い戻ったからという思想に基づく。
「魂」に対しての技(業)なので、生者である霊夢や妖夢には利かず、(妖夢の半霊大丈夫なん……
史規達にだけ影響を受けた。
本来、「死」は迫り来るもの。生きている者に刻々と迫ってくるタイムリミットみたいなものだ。
そこには生者が抱く「受容するプロセス」というものがあるらしく、

 第一段階=否認 → 自分に起こっている事実を認めたくないという状態。
 第二段階=憤怒 → なんで自分がこんな目に遭うのか!という攻撃的状態。
 第三段階=取引 → 神(絶対的な存在)に対して交換条件を考える。何かにすがる。
 第四段階=抑鬱 → 無力感、絶望。何も手がない。
 第五段階=受容 → 死を受け入れる。

という段階を踏んで、迫り来る「死」に対して抗うのだという。
何か、気付いたことはありませんか?
これって、真実を知ってからの史規の行動パターンと限りなく似てるってことに。
紅魔館編では、この第二段階の次に「取引」が来るのを見越して、
レミリアらは「救済」という名目で史規を揺さぶった。
それを振り切った今の史規はすでに吹っ切れた状態にあり、「死」を受容=「生」を臨む。
という一種の悟りめいたとこまで来ている(霊夢のためというのもあるが)。
この状態に至るまでを「魂の管理人」とされる幽々子ならば、
レミリア以上により見越すことができたのだろう。
魂がこの状態で在ることで、ようやく反魂蝶の意味が大きくなってくる。
何故、蝶が「生死」、「魂」と結びつくのか。
これは日本のみならず、西洋でも同様に魂や復活のシンボルとして扱われており、
人間が持つ「集合的無意識=DNAに刻まれたイメージ」から来るとされている。
集合的無意識というのは、個人のコンプレックスより更に深い無意識の領域に、
個人を越えた、集団や民族、人類の心に普遍的に存在すると考えられる先天的な元型のこと。
例えば、全く文化も生活も価値観の異なる東洋と西洋で、
「鵺」と「キメラ(キマイラ)」といった全く異なっておきながら同一視できてしまうような、
架空の生物を創り上げてしまう発想そのもの。そういったルーツ。
ガチガチの日本人が外国の映画を観て感動したり、
ガチガチの外国人が日本独特の文化に感銘を受けたり。
人間という「種」そのものに、植えつけられた先天的なイメージはもっと遡ってあるのだ。
だから死と蝶の結びつきに、そもそも我々が違和感をあまり感じていない証明にもなる。
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「死」は「はじまり」を意味する。遺体はつまり「抜け殻」といった具合だ。
あのイモムシからはまるで想像もつかない姿となって飛翔するイメージから、
死とはつまり解放であり、自由になることを意味するのだという。
蛹を破り蝶は舞う。だから死者に向かってよく「旅立つ」といいますよね。



電車と傘
廃線「ぶらり廃駅下車の旅」
紫(真)の繰り出した、とても弾幕とは形容しがたい高速列車で相手を轢くトンデモ技。
ガードなんてできるわけもなく、完全に避けきるしかない。技名があれ
電車・八雲というキーワードから思い浮かべるのは実際に存在した「スーパーやくも」だろう。
現在では「やくも」と名を統一されたため、「スーパーやくも」という名義は廃止されている。
幻想郷では未知の鉄塊としか喩えるしかない超高速な猪突猛進の巨大怪物。無人廃線車両爆弾
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幻想卍傘
げんそうばんがさ。
電車を凌がれ、続いて出した技。
持っている傘をおもいっきり投げつけて、「卍」型に飛ばす広範囲の物理飛び道具。
見た目とは裏腹に、レミリアの圧倒的な弾きをもってしても回転を止むことはなく、
そのまま森林の木々を切り倒して飛んでいった。まるで気円斬。ナッパよけろー!
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電車にしろ、この傘にしろとてもじゃぁないが「人間の魔理沙」に向けて放つ代物ではない。
これが正気だとしたら、本当に殺すつもりでいる。
しかし、この境地で紫はそんなことはしないだろう。
このふたつの技は魔理沙を斃すつもりで出したワケではないと睨む。
どちらかというと試したといえるのではないか。
魔理沙の余力を持ってしても、避けきれると信じたともいえるが、
すでに到達していた二人の援軍をこの場に立たせるためのブラフといったほうがいいか。
しかも両名の力量を既に理解った上での確信めいた超必ぶっぱなしだ。
そのタイミングを紫ほどの大物ならば容易く計れるだろう。
それもそのはず、魔理沙の出そうとしていた"あの技"をここにきて三度目の阻止をしていたと考える。
ここまで予定調和だからこそ、紫は顔色ひとつ変えないのだ。
紫からすれば 「まだそれを出すタイミングではない」 という彼女でしかわかりえない示唆。
しかし、それでいてそんな境地に魔理沙をもっと追い込んでいかなければならない。
悪役を演じることに徹してはいるが、
裏腹では誰よりも幻想郷を救いたい一心にあるのが今の紫なのだ。
「両方」やらなくっちゃあならないってのが「賢者」のつらいところね。覚悟はいい?私はできてる。
紫さんパねぇっす。マジ今回でだいぶ好きになった。ヤバいっす。
抱いて。





雅な時間

史規と霊夢
さりげない会話の中にしれっと紛れ込んだ、真実への扉。
それは本編を終えた今でも実はまだ明かされていないひとつの事実を記している。
あえて明かしていないといったほうが正しいか。
この霊夢に放った、幽々子の一言。
そして、かつて紫が霊夢に放った一言。
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この主語はイコールで結ばれており、「始まり」を紐解くヒントになっているのではないか?
幽々子の指す「あの時」、これがどの辺の頃合なのかで意味合いはガラリと変わってくる。
可能性をいくつか並べてみよう。


①霊夢と史規が神社を旅立つ日
ふたつの約束を交わし、幻想郷そのものに霊夢が「博麗の巫女」として懇願した日。
その瞬間、いつもの霊夢から「異変解決へと旅立つ博麗の巫女」として立場を定めたため、
"世界の依代"と呼ばれるのも不思議ではない。
しかし、あのときから既に史規は彷徨える魂ではなかった。
それをわかっててもなお、彼女は同行していた結果、幻想郷はこうまでなってしまっている。
事態の流れを理解しているからこそ「わかってる」と答えた。
このことから紫の云おうとしていた関係性は
「異変を解決する側と、異変そのもの。相対する者同士」と告げようとしていた説。
視聴者からすれば、このときからすでに先の展開は予告されていたと今だからこそ理解るシーンとなる。


②霊夢が「博麗の巫女」として就任した日
この物語をもっと遡ってみる。
543回も繰り返している最中、それは幾数年に渡って行われた。
それは妖夢のセリフからでもわかる。
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既に繰り返す魂の存在は冥界の管理下で認識されてはいたが、
まだ異変として是非曲直庁に認められてはいなかった。
しかし、それはごくわずかな妖怪の間で、そして数年の間にいつしか人里へと口授として伝染し、
言い伝えられ、幻想郷の中に存在するひとつの「都市伝説」として確立していったらどうだろう。
彷徨える魂が何度も繰り返された。とでも、いうのだろうか………という噂だ。それは何度もReplay。
その魂がいつしか形を変え、都市伝説「帰りたいって思う人」として認識されるようになったら。
そんなことが幻想郷内であったなんて霊夢は知らず、
博麗神社では年相応となった彼女の「博麗の巫女」就任の儀があったとしよう。
そのときに、何らかの形(四丁目の五郎君から聞いたとか)で、彼女にもこの噂が耳に入った。
幻想郷の仕組みとか色々学んでる間に、認識レベルで史規の存在を「知る」ことになったのがそこ。
そして出会ったのが、あの時。
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そのとき既に彼女ならではの「勘」で察していた、というパターン。
そして、史規と似た気配を持つ魂とこれまでに何度もニアミスしていたと想定する。
この場合でいくと紫が告げようとしていたことは、
「初めて会うわけじゃないもの」とかそういう意味深なアレ。
だから「わかってる」と霊夢は答えた。


③霊夢の生まれた日
もっともーっと遡っちゃう。
「博麗の巫女」制度は出生で決められるものという概念に基づく(設定はどうあれ)。
このときから既に世界の守護者、依代として定められたという前提で話す。
妖夢の話では、霊夢らが生まれる前から史規という魂は繰り返してきたと説明がされているが、
そのうちの何周目かの魂が霊夢の誕生日と密接に隣接していたら、という可能性。
繰り返される魂ってのは、いってしまえば輪廻転生の周回だ。
前回の魂が「息絶え」→「生きたい」と願いまた発現して再開。これを繰り返す。
記憶こそ残っていないが、
基本的に「同一」だが、全く同じ個性ではなく、
非常に良く似た魂として発現する(前の史規と今の史規が微妙に違うことから)点に着目。
今の史規が、霊夢と会うのは「初めて」だが、
いつかの史規が霊夢と「一緒に生まれていたら」。
史規の生まれた場所が幻想郷内で、それが博麗神社だという説だ。
発現した場所=帰る場所(生まれた場所)。
っていうか、最近気付いたんだけどもね。
「繰り返される」、「帰りたい」っていう思想は同じだけど、史規という個体が違うとさ、
「求める帰る場所」ってもしかして各々違うんじゃない?って。
帰る=幻想抜けとは限らないっていうパターン。
自分の生まれがわかんねーもんだから、本能的に帰る場所を求めるが故に、
幻想郷の外(幻想抜け)にまで模索しにいきたいっていうのはごくごく単純な欲求で。
毎回そんな行動を起こしちゃうから、
管理している周りの連中ですら「還りたがる魂」とそもそも誤認識されてしまったのでは?
という結構大胆な着想を得た。
帰りたいけどヒントがなさすぎるから、情報そのものにおどらされてたっていう。
何気に「知らなくていい」っていうパチェさんの教えも直結しない?ここ。
前回の史規はガチで「還りたい」派だったんだろうけど、
今回の史規の本当に「帰りたい」場所って、幻想郷の中だったんじゃないかって。
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ってか口にしてるんだよね史規。
そして、それまで全部霊夢は「わかってる」から、旅立ちの前に「帰れる」と口にした。
この「帰れる」と、人里でのアリス人形劇のあとに霊夢が口にしたあの時の「帰ろう」は、
「ウチ(博麗神社)へ帰ろう」っていう、素直に同じ意味合いを持っていたんじゃないかなぁ。
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でも、霊夢自身が史規のいった「帰りたい」が「還りたい」と捉えてしまったので、
お努めとして付き合うことにした。
このとき、霊夢の放った「帰れる」は、正真正銘「帰れる」だったという視聴者に対する二重のブラフ。
そんな可能性もどうかな…。
なので、紫の伝えたかったことは
「同じところで生まれたのだもの」という説を出してみる。

ニッポンノ ドーオンイギゴ ムズカシイデース





はい、いよいよこれが今年の最期でございますねぇ。
けれども、もう。もうすぐに新しい年が参りますね。
どうか来年もよろしく「レトロスペクティブ東方 -雅-」を。
そして「雅な時間」を楽しんでくださいねぇ。

それでは、皆さん、
次回の第41話「楽園」でお会いしましょう。


さよなら、さよなら

さよなら



Next Dream......


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by makky_cys | 2017-12-29 22:00 | レトスペ雅